Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

異文化ごちゃまぜ、ただいまアジア。

パンデミックに伴って、国連平和大学の授業は対面とオンライン両方で行われる。
100人以上が同時に受講する大きな講義は、44人のみが教室で参加できるので、グループごとにローテーションが組まれている。

始まって一週間、色々な学生を見ていて思ったことを綴りたい。

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授業風景

挙手すること

日本人にとって、「質問タイム」はどのようなものだろう。

私は大学時代、質問をするのが大の苦手だった。
「自分が聞き逃していただけかもしれないし」
「こんな基礎的な質問してみんなうんざりしそうだし」
「言葉がうまく纏まらない」
「これ、質問というよりコメントやん」

こんなふうに、言葉を発しようとすると様々な考えが脳裏に渦巻く。
挙手をすることがこんなに辛いなんてな。ぽんぽんと鋭い質問する他の学生を見てつくづく自分が嫌になったものだった。

でも、アテネオ大学の授業で教授や学生ががじっくり話を聞くれる姿勢をとってくれたおかげで、自分の英語や学問への知識に負い目を感じながらも質問をしたり意見を述べることができた。

pyomn310.hatenablog.com

大学時代の自分よりは、疑問を言葉にすることが苦ではなくなってきていた矢先、国連平和大学に来て驚いたのはアメリカ人を中心に、かなり自由に発言をするということ。

大講義はシラバスが結構しっかり決まっていて、1日にこなさなければならない範囲が結構広い。だから講義は質問時間があまり設けられないまま進行するのだけれど、教授が話しているのを遮ってでも挙手したり発言する学生がたくさんいる。日本では見たことのない光景だったので、私は純粋に(良いとか悪いとかではなく)びっくりした。

毎日やたらめったら(大袈裟でもなんでもなく文字通り)ずっと手を挙げている学生に、なぜそこまでたくさん質問するの/したいの?と尋ねたら、彼女はこういった。「お金を払って授業を受けてんだから、自分が疑問に思うことは全部聞いてしまいたいじゃない。じゃないと損した気分になるし」

おお、なるほど、そういう考え方なのか。
日本人はどうだろうか。

※もちろん「〇〇人だから〜」と一概には言えないのだけども。
私だったら授業の進行のこととか考えて質問がたくさんでて授業が先に進まないと焦るし、他人の意見から学んだり、些細なことはGoogleで検索したりしがちである。また公に質問するほどでもないけど聞きたいことなんかは、授業後に個人的に質問しに行ったりするかな。

みんなはどうなんだろう。

ディスカッション

朝に大講義を1時間半受けた後は、20人程度のグループに分かれて紛争・平和に関するディスカッションをする。
アクティビティは毎日それぞれ違っていて、ロールプレイをしたり、グループに分かれてテーマ別に話し合ったり、プレゼンテーションしたりと様々である。

そんなディスカッションでも、色とりどり文化の違いが強く感じられた。
やはり頻繁に発言をする人としない人ではっきりと分かれる。
だからと言って発言しない人が参加していないわけではないこともよくわかる(ファシリテーターがそれを理解しているかは不明だけど)。

社会で活発な活動家が目立つように、SNSでインフルエンサーが目立つように、授業で発言する学生はやはり目立つ。
次第に発言する学生が授業の中心になることさえある。つまり発言しない人はどうしても裏方に回りがちになる。

でも、発言の内容を注意深く聞いていたら、ある時ある学生が言ったのだ。
「Shit, I forgot what I wanted to say...」
(テキトーに訳すと:げっサイアク、言いたいことなんだったか忘れっちゃった。)

それを見て思った。頻繁に挙手する人って、手を挙げてから質問考えてんだ。

「頭にポンと思い浮かんだこと、全部言うようにしているわ」
別のアメリカ人の友達は胸を張ってそう言う。私はそれが(良くも悪くも)すごいと思う。時に熟考されていない質問は歓迎されないこともあるから、時と場合は考えたほうがいいんじゃないかと私は思う。同時に私には到底できない技なので尊敬もする。


もやもやと感動が入り混じったこの感覚。他文化を理解しようとしている時のこの瞬間が、結構好きだったりする。

例えば、コスタリカは結構時間厳守な国だなあと感じたりする。
定刻ギリギリにバス停にたどり着いて乗り遅れそうになるし、授業もきっかり時間通り始まる。
「ちゃんとしてるなあ」と気を引き締め直すのだけれど、春のようなぽかぽか日和に心はほんわかバカンス気分で言う事を聞かない。

また、大学に行くと文字通り100人以上の100通り以上のライフスタイルと価値観が溢れている。ベジタリアンやビーガンがいて、LGBT+がいて様々な服装をした人がいる(キャミソールの人の隣に長袖のスウェットを着ている人がいたりする)。だからもう、他人のことを気に掛けている場合じゃなくなるんだ。全員の話を聞いていたら情報過多で脳みそが爆発する。自分のすべき課題と、自分の行くべき教室と、自分の食べたい昼ごはんのことに集中しないと、とてもじゃないけど一週間もたないと思った。ちょっと大袈裟かしら。


ただいまアジア

他の学生との会話は、ちょっとした海外旅行のようである。

全く知らない国で育ち、全く知らない言葉を母語として話、全く違った価値観を持つもの同士が好奇心をエネルギーに話をする。
新しいことを「学ぶ」のはかなり大変なこと。
毎日際限なく初対面の学生との交流を繰り返しながら、名前を覚えるのに苦労しながら、同時に平和と紛争についての講義を受けながらそれに関する論文を読む。情報量はこれまでの比にならないほど多くて、処理するのも時間がかかる。

ちょっとフランス人とフランス語で話しながら懐かしくなったり、中央アジアのスタン系の国々の人のロシア語を聞いてなんだかエキゾチックな発音に感動したり、伝統的なドレスを纏うインド人に見惚れたり、スタイリッシュにタイトなショートパンツとかスカートを履きこなす方々を目の保養にしたり…いやはや楽しいのなんので。

「ワクワク」は際限なくやってくるけれど、やっぱり落ち着きのない日々にリラックスは必要である。

アテネオ大学で6ヶ月ハードなオンライン授業を共にしたAPS生(同じ奨学金プログラムの同期)と会うと、なんとも「ただいま」と言いたくなるような気持ちになる。
長い旅行から帰ってきて、ゆっくり腰を落ち着けられるような感覚。そんなふうに思える仲間がいるのは、本当に嬉しいことだなあ。

そんなこんなで、異文化ごちゃまぜ、ただいまアジア。そんな一週間を無事乗り越えた。

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