Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

活動限界

目を覚ます理由、眠る理由

目を覚ますとスッキリしている。それが、25歳の時に受けたレーシックのおかげで視力が1.5だからなのか、あるいは良質な睡眠が取れたからなのか、正直見分けがつかない。
ベッドの質が良かったのか、昨晩浴槽に浸かったからなのか、寝る前に飲んだハーブティーの効果なのか……考え始めると、きりがない。

とはいえ、夜はいつもへとへとで、泥のようにねむる。
そして、翌日の朝には元気になっている。

7~8時間の睡眠が取れないと、週の真ん中あたりには昼間眠気を感じることがある。でも、規則正しく十分な睡眠を取っていれば、そんなことはほとんどない。
飲み会の翌日、二日酔いが心配な時でも、水分をしっかり取って眠ればスッキリ目覚めることもある。

ここまで書くと、「なんて健康志向なんだ」と思われそうだが、実のところ、私は夜にめっぽう弱い。
夜更かししたくてもできない。そういう体質らしいのだった。
飲み会の途中で思考が停止し、目が座り、瞼が開かなくなることもしばしば。シラフでも22時を過ぎると目が座るため、「酔ってる?」と驚かれることがあるが、単に眠いだけだ。


私の「活動限界」

私はこの22時過ぎから23時の間を、自分の「活動限界」と呼んでいる。
知人や友人たちはそのことをよく知っていて、「そろそろおねむの時間だね」と言いながら帰らせてくれるので、とても助かる。
理解のある人たちに恵まれているのは本当にありがたい。
もっとも、飲み会で舟を漕いでいる人を前にして酒を楽しみたい人は少ないと思う。
だから、遅くなる予定の日は多めに睡眠を取るなど、できるだけ自分で調整を心がけている(それでも眠い時は眠いのだけれど)。

睡眠は、健康を維持するために食事と並んで重要な要素だ。だが、ときには「活動限界」を超えねばならない時もある。

ギリギリに気づくこと

特に、モロッコでの滞在が残りわずかになり、指で数えられるほどの残日数しかない今は、睡眠を削ってでも体験すべきことが増えてきた。
送別会を開いてもらったり、仕事終わりに友人にお茶に誘ってもらったり――こうした時間を大切にしたいと思う。

これまでは、仕事が終わると家でのんびりしたり、絵を描いたり、文章を書いたりして、ひとり気ままに過ごす時間を大切にしてきた。
それが最後の最後になって突然、「やっておかねば。会っておかねば」という気持ちが湧き上がり、内向的な関心ごとよりも、外交的な行動へと心が向き始めている。

やりたいこと、訪れたい場所、会いたい人たち……。
なぜ、最後のカウントダウンが迫ってきて初めて、足を運ぼうと思えるのだろう?コンタクトを取ろうと思えるのだろう?
時間はたっぷりあったはずなのに。

活動限界であったとしても

自分が起きていられる時間は限られている。
自分がモロッコに居られる時間は限られている。
自分があなたと一緒にいられる時間は限られている。
自分がその場所に訪れられる機会は限られている。
自分が生きていられる時間は限られている。

知っているはずの事実なのに、どうしても受け流してしまう。
毎日、太陽が昇っては沈む。
毎日、仕事に忙殺される。
毎日、疑問が浮かんでは忘れる。

そんな中で、なんとかしてこの滞在中にやっておきたいことや訪れたい場所を書き留めて、自分の中で約束をする。
明日時間切れが来た時に、後悔をしないように。

思っている2倍

今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」


モロッコのラバトでの生活がすっかり肌に馴染んで、
写真や文章といった趣味の時間もある程度取れていて、満足した毎日を送ってきたと思う。
2024年のうちに形にしたいと思っていたことは、実現できた、と言えるかな。

海外旅行

モロッコも海外なのだけど、さらに外へ海外旅行。2024年はスペイン(マドリード・バルセロナ)、ポルトガル(リスボン)、(乗り換えで)トルコ(イスタンブール)、キルギスタン(ビシュケク、ソンクル湖、イシククル等)を周遊し、円安を痛感しながらも割と楽しんだ。お金はただの紙。それで経験を買うのは価値あることだなと思う。そういう言葉をどこかで読んで、共感した。
オーバーツーリズムな街で有名すぎる建物やらを訪れるよりも、牛や馬が草を食む草原でぼんやりする方が性に合っているとわかったので(実際スペインとポルトガルのブログ記事は書けなかった。)、これからは行き先についてもじっくり考えてから旅をするのがいいかもしれない。あとは、「誰かに会いにいく」は私が旅をする際に最も強い動機になるということもよくわかった。

pyomn310.hatenablog.com


2025年は
・日本国内旅行。必ずしも観光地じゃないところ。友達が住んでいるところ。
・東南アジア旅行。安全と快適は積極的に買う。
に絞って目的地を考えよう。


文章

2024年は、小説を人生で初めて書き上げた。数千文字の短編だけれど、「書き終えた」という実感が自分を前に進めてくれたような気がする。

まずは書き上げることが大切だよ」と、とある作家に教わっていたので、とにかく下手でもなんでもいいからと、自分が納得がいくまでその物語と対峙した。人に見せてコメントをもらう、といったことも初めてやってみた。
そんな体験を通じて、「物語を書くってどういう感じなんだろう?」と考えながら小説を読んだり、文章を読んだり、人の話を聞いたりすることができて、毎日目にする・耳にするものが新鮮に聞こえるようになった。
そうして、物語は自分の周囲にいつも溢れているのだな、と気づいた。

2025年は、
・今書いている物語の断片を一つでも完結させる。
・これまでに読んだことがないジャンルの小説や作家の本も積極的に読んでみる。
・人の話を聞いてそれを記事にする
・海外関係のブログを立ち上げて毎日更新
などをチャレンジしてみようと思う。


写真

2024年は仕事関係でも趣味でもたくさん写真を撮った。
PENTAXとFujifilmを2台持ちして、モロッコの景色や人々を切り取ってきた。
撮るだけではなあ、と、写真を見直しながら自分のインスタグラム(フォトアカウント)に極力毎日投稿するようにしていた。
投稿が続かない時期もあったけど、目指していたフォロワー1000人は超えたので嬉しい。
そして、日本の写真展をモロッコにいる間にどうしてもやりたくて、知り合いづてにあちこちに相談して回っていると、とんとん拍子でラバトのとある美術館での小さな個展(3アーティストの共催)が実現することになった。やりたいことがあれば、あちこちで言って回ると本当に叶ったりする。

www.instagram.com


2025年は、
・景色だけではなく、人をモデルに撮らせてもらう
・目指せインスタフォロワー3000人
・モロッコ写真展を日本で実現
をできるように行動したいな。

キャリアと拠点

2024年は自分のキャリアを嫌というほど考えた。この先何がしたいのか。どんな仕事にやりがいを感じるのか。年齢的に、今優先すべきことは何か。それでも結論は出ない。
「とりあえず、これかなあ?」と、3着くらい買う服を迷って一枚恐る恐る取り上げてレジに持って行こうとしている心持ちだ。

これまで国際協力の界隈で、カメルーン、コスタリカ、モロッコなどに暮らしてキャリアアップに努めて突っ走ってきたけれど、
「これでいいのかなあ?」と思い始め、無我夢中で続けていた語学の勉強の手が止まった。(ただの怠慢なのかもしれない。)

同年代にそんな話をすると、ありがたいことに「30代はそういう年頃なのかも」、と共感してくれた。
色々見直したり、自分は何を残せるのか?とかを考えたくなる時期に、その人も入っているのだとか。

2024年に限らず、コロナ禍も含めてこれまでは一直線に国際機関を目指して走ってきた。
走ってきた過程で見てきたことや聞いたことに影響もされ、鼓舞され、あるいは牽制され?、「これでいいのかなあ」という段階に来た。だからこれまで勉強していたことについて急激に熱が冷めていくのは、ただの怠慢ではないのかな、と私は思っている。

であれば2025年はどうするのか。
・・・考え続けるしかない。

(2021年から似たようなこと考え続けてる)
pyomn310.hatenablog.com


レジに持っていった服を購入し、着てみて、納得がいかなければまた金を稼いで、買い直せばいいのかもしれない。
その服が似合うようにダイエットをすればいいのかもしれない。
あるいは、選ぶ店自体変えなければいけないのかもしれない。

正解は自分で探していくしかないから、気長に楽しく過程ごと楽しむのが良さそう。

思っている2倍

思っている2倍の努力をしないと、自分の期待している結果は出てこないのだった。
思っている2倍、できる時はできるのに、自分が「本気」を出すことはとても少ないのだった。
思っている2倍、時間が進む速度は早く、見落としているものも多いのだった。

そしてまた、住んでいたその場所を離れると、
思っている2倍の速度でそこでの生活や気づきを忘れていくし、
思っている2倍、次の現実に忙殺されていく。

だから2025年は、
「思っている2倍」意識して、ものごとに取り掛かっていかなければならない。

キルギス旅行記(ユルト滞在編)

センス・オブ・ワンダー

まるで地球の地肌の上をそのまま歩いているような。そんな感じがする旅だった。

全てが壮大で、雲や太陽や微風に揺れる草原によって世界が回っているような。細かいことが本当にどうでも良くなって、解放されていくような。そういう感覚を抱いた。

この世界には知らないことがたくさんある。広くて、多様で、自分の考えだけに囚われてしまうことが勿体無いと思うほど、それらは面白い。宇宙の一片に地球が存在するように、世界の一片に私は存在している。

この壮大な世界は、この一生を賭けても全てを知ることはできないのだろうな。
そんなわかりきった事実を今更ながら、実感するのだった。

透き通った空とエメラルドグリーンの湖のほとり。
音もなく滑っていく船。
遠くで草を喰む牛たち。
コンクリートに小気味良い音を立てながら歩く馬。
夜明け前の群青に浮かぶ月。
折り重なるように延々と続く凛々しい山脈。

なぜ?いつから?地球で生きているということを忘れていたのだろう。
なぜ、その呼吸に、その限りない未知の美しさに、感動を覚えることがなかったのだろう。

レイチェル・カーソンが晩年に説いた『センス・オブ・ワンダー』ーー自然の未知にときめく感性は、私たちから知らず知らず損なわれてしまっていて、放っておくともう取り戻せないのかもしれない。そう心の中でひとりごちた。

遊牧の文化を体感する

ソンクル湖周囲に広がるジャイローに、点々と並ぶユルト(遊牧民ならではの移動式住居。ゲル。パオ。)を眺める。首都のビシュケクから2時間バスに乗り、その集落からさらに悪道を3時間、古い四駆車に揺られながら、延々と続く山脈地帯をなぞっていく。人より牛や馬の数が多い草原。突如現れる巨大な湖。ツアー用に申し訳程度に建てられたユルトやブランコ、キャンピングテーブルさえも、その壮大な景色の中ですっかりと馴染んでいる。小さな点々のように見える牛の群れ。羊の群れ。弧を描いた地平線・・・

こんな秘境に来られたのか!という感動さえも、言葉にならないまま果てしない空に消えていく。尻が浮くほどの振動の中で微睡み、夢と現実を行き来しながら、砂埃の中で牛やヤクが草を喰む姿をただ無心に眺めていた。

ジャイローは、人間の足では到底踏破することができなくらいに壮大だった。薄く草の生えた地面がずっと向こうまで続いていて、雪が残る山脈がどこまでも聳えている。振り返るとソンクル湖が佇んでいて、数の牛や馬がポツポツとそのシルエットを浮かび上がらせているのが見える。8月というのに風は冷たく、乾燥していて、着ていたパーカーでは心許なかった。


陽が沈む少し前には、気温はすでに4度を下回っていたと思う。観光業か牛の世話のためにジャイローに留まっているのであろうキルギスの人々は、パンと肉を主とした食事に、ペットボトル入りのお手製ヴォッカを啜り、体を温めていた。勧められるままにショットグラスいっぱいのヴォッカを舐めると、体内に小さな火が宿ったようにポカポカと胸を温めてくれるのであった。

「寒い時はヴォッカに限る」みたいなことを言いながら笑い合っている人々。
金色の前歯が目立つ笑顔も、目を引く民族柄のウールベストも、歯切れのいいロシア語やキルギス語の音も、どんどんと夜の闇にのまれていく。
キルギス語とロシア語で楽しそうに話をする人々の間で(残念ながら理解できなかったけれど)、自分が、この大自然と共存する人々の一部になったようで心地が良かった。

太陽が完全に沈んでしまうと、辺りは冬のような寒さで、乾燥が喉に応えた。かろうじて温かい料理を頬張るが、なかなか体が温まらない。
遠くまで見えていた草原や山脈がすっぽりと闇に飲み込まれて、身近に感じていたはずの自然が一気に、未知と畏敬の対象に変わる。

ヴォッカで宿った小さな火はあっけなく消されてしまい、手足の指先からどんどん冷えて感覚がなくなっていくほどだった。
しかし、眠る前にはありがたいことに、伝統的なユルトの暖炉に火をつけてくれた。たちまちユルトの中は温かくなり、顔が火照るほどだった。

そんな中だからこそ、感覚が鋭くなるのだろうか。
土の匂い。水の匂い。生きている動物の匂いがする。

それらの香りは私には新しいはずのものだけれど、どこか懐かしくて、ほっとする匂いだった。

夜中に見上げた空には、下弦の三日月が浮かび、星は薄い雲に隠されていた。
宵闇にユルトの煙突から吐き出される煙が、ほの明るい月夜、神秘的に揺れていた。

私は伝える方法を幾つか持っている

イシククル湖は海のように先が見えないくらい大きくて、見たことのない青で満ちていた。深くて、それでいて決して濃くはないブルー。太陽の光でエメラルドグリーンに輝き、澄んでいるけれど決して底が見えない深さ。そこに身を預けて泳いだ感覚こそが「自由」に一番近いものだったのではなかったか。
船に乗って湖の向こうに聳える山脈を見渡す。山肌が剥き出しになっており、雲の影がその表面を撫でている様は、これまで見たどの景色よりも立体的で、多次元だったと思う。

世界は広い。大陸は広い。どこまでも知らない世界が続いているんだ。
脳裏ではずっと、そんなことを思い続けていた。

シャッターを切っても切ってもその壮大さを表現できていないような気がして。
あとで写真を見る人が、この景色の大きさと特別な色彩に気づいてくれだろうか?と不安になる。
そして、また思い直す。
実際に見た景色や匂いを全て、写真で表すことはできない。と。

でも、私は伝える方法を幾つか持っている。

写真でも、絵でも、文章でも、表現をしようとすることができる。
少しでもその場所の記憶が、見ていない誰かにも伝わるように。

あの雄大な地球の大地にぽっかりと開いた大きな穴と、そこに満ち満ちた青い水。
ゴツゴツとした山脈の岩肌。今にも触ることができそうな雲。
牛や羊が音もなく草を喰み、そこに冷たく乾いた風が吹いていた。
ユルトの煙突の白い煙が空に吸い込まれていく頃に、夕刻が迫り、あたりは群青のような紫のような色に染まった。

あれは確かにあの場所に存在していた。

私は確かにあの景色に触れ、あの景色の残像を網膜に焼き付けたのだ。


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手がかりを求めて

今週のお題「捨てたい物」

この記事は、仕事で視察することとなった
モロッコのアトラス山脈地帯の集落で見て聞いて感じたことを綴った文章です。

2023年9月、モロッコ中部で数十年ぶりに大地震が起こりました。日本でも報道されましたね。
混乱に陥った人々、毎日のように死傷者の数字だけが増えていくネットの情報。山岳部の石造りの家々が崩れた様子が、大きく写真で載せられた新聞。
私は当時、モロッコの首都にいながら、パソコンや新聞を通じてしかその様子を知ることはありませんでした。

一生訪れることがなかったはずの場所に、偶然が重なって行くことになった時、
好奇心と戸惑いが混ざったような、なんだか不思議な気持ちになりました。

実際に仕事を通じて経験できたことは、(不謹慎と言われるような語弊があることを覚悟に言うと)自分にとって貴重な財産になったと思いました。

けれど、被災というものに向き合った時に、私は本質的な自分の部外性から目を逸らそうとする。自分の都合の悪い事項についてはなかったことにしようとしてしまう。そんな癖があるように思います。

ただその体験から自分にとってプラスになるようなことだけを手に取り、文章にし、写真を撮り、ある程度納得したと思い込んでしまう癖を、
そんな自分の甘さを、私は捨てたいと思いました。

私は、私の感情の動きとか作り出す文章について、いい加減もっと冷ややかに、見つめ直す必要がある。そんなふうに思ったのでした。

「あるいは、映画が作られるかもしれない。上々の出来事なら、二時間後に彼らは涙を流して我々の悲劇に同情を寄せるだろう。だがそれは本当に悲しんでいるのではなく、悲劇を消費しているのだと考えたことはないか?」

米澤穂信著『王とサーカス』より

マラケシュから何時間もかけて、四輪駆動で山道を行く。
岩肌が剥き出しで、大きな岩がごろごろした道だ。

乾燥して、赤い土埃が舞う。時々、山の端や崖のような岩壁の上に、土壁の四角い家々が数戸ずつ並んでいる。
白くてギラギラする太陽光が車窓から容赦なく射し込んで、肌を突き刺す。
気温はとうに40度を超えているだろう炎天下、柵も路肩もない道を、小さな子どもがペットボトルを持って歩いている。珍しいのか決まって誰もが私が乗っている車をじっと見つめる。

山の下の集落まで車で一時間ほどかかるというのに、彼らはどこへ向かうのだろう?

私はシシャウア地区というところにある小さなアマズィーク(俗にベルベル人とも呼ぶ)が住む山岳集落にたどり着いた。
彼らは好奇の目でこちらを見ている。
男は木陰から、女はテントから顔を出して、それぞれグループになって遠巻きに見ている。

私は女性のグループにぎこちなく挨拶をして、さっき教えてもらったばかりの「お元気ですか」という現地語(アマズィーク語)を口にしてみた。

マンザキン?

すると1人の中年の女性がふわっと表情を緩ませ、笑顔でラバス?と返してくれた。
彼女らにとっては、モロッコアラビア語も外国語だ。

日々の仕事場で聞き慣れた「ラバス?(元気?)」という言葉が急に自分を引き戻す。
ここはモロッコと言っても、自分の知っている範囲のモロッコではないのであった。

私は必死になっていた。自分はね、仕事で視察に来ています。被災地支援の実態を見るための視察なんです。みなさん、よろしくお願いします。なんてことを頭の中で考えながら挨拶をする。顔がこわばる娘らに笑顔を向けて手を振る。瞳に光を宿して、不思議そうに私を見つめている。

村人らにニコニコ挨拶をして、被災地の状況を支援団体から聞く。それなりな質問を並べて、答えをもらいながらメモを取る。
そんな記録も、太陽光にぎらつく切り立った崖の黒い岩も、茶色いグラデーションを描いた巨大な断層の山脈も、道路脇の深い谷に全く水が流れずどこまでも硬そうな乾いた地面が続いていることも、特にこの場所を理解するためになんの役にもたたなかった。ただ、そこにあるだけだ。

ただ彼女が私の手を握って笑う。
マンザキン、という言葉の響きがかろうじて私と彼女を結びつけてくれたように思ったけれど。

必死になってこの土地との結びつきを探す。
橋を渡そうとする。でも、どこにも手がかりなどなかった。

握手をして柔らかな表情を浮かべた彼女に、これは一生に一度だけのシャッターチャンスだなんて下心を抱いて、
私はフォト?フォト?とカメラを指して彼女に言う。
すると後ろの若い娘たちもふわりと微笑み、ポーズをとっているのかその表情を続けるので、急いでシャッターを押す。

手がかりなどなかった。
手がかりなどいらない。

私たちはこの瞬間そこに立っていて、偶然にも出会い、握手をした。彼女らの被災、彼女らの悲しみ、幸せ、喜び、生きがい、そういうものについては考えないようにする。
考える資格もないのだから。

私はただ彼女らの世界を通りすがった通行人。
写真を撮らせてもらって、いそいそと自分の世界に戻っていく。

さようなら。

そんな気持ちで彼女らに手を振って、私は背を向けて歩き出す。

ジャズと暴風雨

数週間前にタンジェに一泊し、UNESCOとハービーハンコック・インスティチュートが主催するジャズコンサートに行った。

ハービー・ハンコックやマーカス・ミュラーやメロディ・ガルドーやリチャード・ボナなどの有名アーティストの音楽を堪能し、手が痛くなるまで拍手をし、喉が痛くなるまで歓声を上げ、その夜偶然出会った人達同士で盃を交わした。あの夜にタンジェで出逢った人々のことについて、数時間言葉を交わしただけなのに、その出来事についてうまく言葉にできないでいるのは何故なのだろうか。

私は今日それを語りたいと思う。途切れ途切れの記憶になっていても。若干の脚色が避けられないとしても。
忘れてしまう前に、消えてしまう前に。

そう思いながら、筆を執る。


耳元で誰かが言った。

ないものなら作ればいい。歌いたければ、踊りたければ、そうすればいい。

私は心で思った。
スタイルを見つけるために私は集中する。創り続ける。創りたいと言うエネルギーがあるかぎり。


好きなことをしている自分が好き。私の人生が好き。

とある夜に、初めて会った女性。
ケイトは、ドイツ人で、南アに拠点があって、美術本を作る仕事をしながら、モロッコ人アーティストのYの創作活動の助手をしていると言っていた。
凛々しくて、アートを愛していた。冷たい風が吹くタンジェで、紫の生地の薄いドレスを纏っていた。
寒くないの、というと「ヴァイキングだからね。」と欧人らしいジョークを言った(冗談と取れずに、北欧で育ったのかと真顔で聞いたことは、ここだけの話だ。)。

書いておかないと忘れるくらい、短い邂逅だったのに、
こうして思い出すと彼女の言葉ひとつ一つが蘇ってくる。

「ねえ、どんな20代を過ごしてきたのか聞かせてよ」
「あなたの物語、そのまま本にできちゃうわね」

肘をついて気だるそうな表情で、でも真剣な眼差しで私に言う。
ざわざわとした空間で彼女の声は近いのに遠い。

「何かを作りたいって思うと夢中になっちゃうのよ、アーティストっていうのは。」

ケイトは、ヤシンを見て言った。

ヤシンは、インドで買ったという、さつまいもの皮の色をした生地にスパンコールのような形の刺繍が施された膝まであるシャツに、足のラインに沿った細身のパンツを履いていた。

全体的に体型も頭もまんまる(坊主)で、目が丸くて真っ黒で、温和な感じがした。
見た目は男性なのだけれど、仕草や話し方が女性っぽい。

彼(彼女?)の言葉を、私が聞こえたままに訳して書いてみようと思う。
「私最近こんな展示したんだあ。すごい大きい壁でね、ここの絵全部描き切るのに3週間くらいかかったんだけど、その間に6キロ痩せちゃったわよ。6キロよ?」
「展示はあちこちでしてるわよ。フランス、イタリア、スペイン。インドに家があってね、時々行くの。すごく好きだわ〜インド。写真見て。これがね・・・」
「文章も絵も音楽もしたいの?いいじゃない。エネルギーがある限り続ければいいわよ」
ヤシンはレストランで誰よりもお喋りで、時々思い出したようにステージで演奏されている音楽に乗せて自分なりの歌詞(とても間抜けた歌詞だったように記憶している)を口ずさんで身体を揺らした。愉快な人だったのだ。それが突然、アートの話になると、近すぎるくらいに顔を寄せて真剣な目つきで話をしてくる。

最初は創り続ける。誰に何を言われても気にしない。ただ黙って創るんだよ。


「そしてね、ファンがつき始める。今は怖いものなんてないよ。」

そう言うとすぐにまた、愉快で剽軽なヤシンに戻って、残っていたミニトマトとレモンでスマイルを作って遊び始めた。

ゴツゴツした大きな手。この手が、大きな2メートルくらいの壁に作品を模るのか。

薄暗い地下のレストラン。古いジャズを演奏している。
彼らの声は近いのに遠くて。

タバコ臭くて呼吸がくるしい。ワインがグラスに注がれる。私は静かに陶酔する。
ふけきった闇の中、異国でたった1人。美しい人々のなかで佇んでいる、

たった1人。

私はどこに向かいたいのだろう。別にどこにも向かいたくないのかもしれない。
こうして宇宙のように広く感じる世界の中で、キラキラしたものを探して彷徨ってるだけで満足なのかもしれない。

夜は更け切ったはずなのに、店はずっと満員で、客がステージに上がり、ホテル・カリフォルニアやジャーニーなどを歌い始める。
外国のカラオケはボックスの中ではなく人前で歌うものなのだ。


更け切った夜から次の朝までの時間はとても短かった。
翌日は、静かにしとしと降る雨の音で目が覚めた。

アート作品よりも、あなた自身が人に影響を与えるんだよ。

その晩、家に泊めてくれたナジュアもまた、アーティストだ。

部屋中に飾られている絵画はどことなく、重く暗くて、どこか死の匂いがした。
話をしていると、彼女が大切な人の死を経験したからなのだと言うことが後でわかって。

彼女はわざわざ雨の中卵とパンを買いに出てくれて、気前よくスクランブルエッグとたくさんの(文字通り、山のような)クロワッサンやデニッシュを机いっぱいに並べてくれた。

重くて悲しい絵は、大きくて、どうしても視界の中に飛び込んでくる。
乾いた喉をひたすらミネラルウォーターで潤しながら、塩の効いたスクランブルエッグを頬張る。

薄暗くて、肌寒い。いつもタンジェは青空で、海の向こうのスペインがよく見えるというのに。
私は不思議だと思った。

今日雨がやまないことには、何か理由があるような気がした。
不思議なことがあると、何か理由を探したくなるものなのだ。

被りすぎて取れなくなった自分の仮面を取り去るための段階にきているのかもしれないな。
疲労した頭でぼんやりそんなことを考えてみる。

私は私の「そのまま」を表現したいのに、どれが本当の「そのまま」なのかわからなくなってしまっている。

ナジュアのように真っ直ぐ、心の一番深いところにあるものを「そのまま」描いたような絵を、
いつか描けるだろうか(本当に描きたいのだろうか?と同時に自問してみたりもする。)。

あるいは、あちら側の世界になんとなく繋がっているような気がしたりもする。

これはなんだろう?この感覚は、なんなのだろう?

そんなことを考えていると、暴風雨の音が窓を閉めているのに家の中まで響いてきた。まるで何かを洗い流すような雨。
昨日と打って変わって、静けさに満ちている。音楽が、恋しい。

私は、もっと内面の、自分も知らないような場所について、
やっと命題を持つことができるようになり始めているんだと直感する。

ふとやってくる創作意欲。歌も、絵も、文章も全部好きだしつづけたい。

「続けたらいいじゃないか」と、誰かが言う。

私は頷く。私はそうする。私は私の人生が好きだ。彼女がそう言ったように私もそう言えるようになりたい。


何時間雨が降り続いただろう。昼前になって突如として、雲が割れていく。
晴れ間。光。空が青く輝く。

切り裂かれた冷気と霧が、果てしない宇宙から届けられる太陽光に温められて、白く光る。
木の緑が生き生きと照らされ、透き通った空が目に飛び込んでくる。

一瞬の刹那と永遠と。

意味もわからずそんな言葉が浮かんだ。いいや、実際は何も浮かんでいやしなかったのかもしれない。

できるだけその景色を、その時間を心に留めておきたいと思う。
いつまでもいつまでも。

タンジェでは、身体は軽くて、自由で、いろんな決意をした2日間だった。

それでも翌日から、目先のあれやこれやに気を取られて、怒涛のように月日が過ぎ去っていって、
肝心な綺麗なものやオモシロイものを見逃してしまっているような気がして、あーっと虚空に乾いた声を上げたくなる時がある。

そう言う時に思い出そう。

ないものなら作ればいい。歌いたければ、踊りたければ、そうすればいい。

If there's not, you create. If you want to sing, sing. If you want to dance, just dance!

異国風皐月病

書きたいことが浮かんでくる。描きたいことが浮かんでくる。
大抵、そういう時ってペンを持っていないから、何を書きたくて描きたかったのか忘れてしまう。

これをやろう、あれをやろう。思った1秒後には違うことを考えている。
なるほど人生は忙しい。忙しい。何をするために忙しいんだっけ。

回る、回る、目が回る。
猫の手も借りたいくらいに目が回っている。
けれど私は一体なんの上で回っているのだっけ。

巡る、巡る、血も陽も生命も巡る。

結局一番重要なことを思い出せないまま、1日が終わる。
あれ、これでよかったんだっけ。明日また考えればいいか。
言い聞かせて眠る。眠る。夢の中で回る。巡る。

空を飛ぶ夢を見た気がして、目覚める。忘れる。

空が青い、青い。突き抜けるほどに青い。
すっと筆で落としたような白い雲の筋が、私の思考を、貫く、貫く。

肝心なことは忘却の彼方。あの飛行機よりも、その先よりも、ずっと遠い場所にある。
異国の花、照りつける太陽、美しい、美しい。それを感じ取りまた私は、書きたいことが浮かんできて、描きたいことが浮かんでくる。

小さなノートと鉛筆を、いつもポッケに忍ばせる。回る、回る、回りながら思い出すために。
私は巡る。今日も巡る。

LA VIE EN BLEU

アートの力は強い。
けれどその力はとても静かで目立たないのかもしれない。

まるで地中のマグマのように深い闇の中で静かにその熱を発し続けている。

じっくりその静かな蠢きに耳を澄ませないと、
その本来の力というものには気づくことはできない。


職業上、多くのアーティストと出逢う機会がある。
文化やアートにできるだけ常に触れていたい私にとって、そんな邂逅は願ってもみないこと。
出逢うたびに、言葉を交わすたびに、強烈なインスピレーションを受ける。

今月は立て続けに魅力的で個性あふれる2人のアーティストについて、綴ってみたいと思う。

モロッコのタンジェで活動する画家、ファッションデザイナー、テーラーのナジュアさん。
シルバーに光るアイシャドウを乗せ、ダークレッドのリップ。
つるりとしたプリント柄のオールインワンを纏い、黒いベルトをアクセントにしたファッションがよく似合っていた。

彼女は日本の着物に強く感化され、着物のスタイルを取り入れながら、モロッコの色彩を活かした独特の服を創作している。
タンジェの新市街に、小さな雑貨屋や本屋の立ち並ぶ通りがあり、その一角に彼女の店はある。

一見晴れやかなモロッコの空のような布が目に飛び込んでくるが、その服の形をよく見ると、裾が着物のように広がっていて、それでいてジャケットのように羽織ることのできるものや、シンプルなシャツのようで後ろの裾がドレスのように広がっているものなど、これまでにみたことのないデザインの服ばかりが並んでいた。

一つ一つが手作りな分、数は多くなかったけれど、それぞれに彼女のインスピレーションが宿っていて、とても素敵だと思った。

そのうちの一つが直感的に気に入って何気なく羽織ってみると、とてもしっくりきて、すっかり気に入ってしまい、その場で買ってしまった。

ナジュアさんはこの時「時に宇宙は、誰が私の作った服を着るのか決めてしまっているのよ。今日はまさにその運命に対峙したって感じね。」と、(フランス語で)言った。唐突で、空気に馴染んでいて、その詩的な言葉を聞きながら不思議な浮遊感に包まれた。

彼女の言う宇宙の巡り合わせの中で、彼女が作った服と私が「かちり」とはまったことが、とても嬉しく、ロマンチックに感じた。

お店の中には、あちこちに墨汁を白いキャンバスにぶつけたような激しく躍動する絵画が掲げられていた。
他にも混沌とした街の空気と陽だまりを思わせる抽象画や、アラビア文字が活かされた人物画などが飾られており、彼女の世界観に夢中になった。

私も独学(学んでるという感覚はないけど)で絵を描いているけれど、彼女のように自信の伝わる堂々とした絵は描けないでいる。
なんとなく人に見せるのは・・・と弱きになるし、描きたい日があれば、全然そんな気分じゃない時もあって、常に作品を生み出す力はない。

だから彼女のHOWが、とても気になった。
「どうやって?」

観光の専門学校を卒業した後、ナジュアさんは10年強もの間観光関連の仕事をしていたそうだ。アートは常に彼女の心の中にあり、絵を描くことは好きだったらしい。それを本格化し始めたのはここ数年前らしく、描いていた絵に興味を持ってくれた知人が、展示会をやらないかと声をかけてくれて、どんどん注目が集まっていったそうだ。

「どうやって?」

・・・というのは愚問だと思った。
私はこの質問をするとき、純粋な相手への好奇心以外に、自分自身もあわよくばその方法でうまくいかないか、なんて下心を抱いている。そんなふうに心の中で気づいてしまったのだ。彼女はその深みのある黒い瞳で、それを見透かしているようにさえ感じる。恥ずかしい、恥ずかしい。


私たちは宇宙の出鱈目な気まぐれによって巡り合い、こうして話をしている。彼女は導かれるがままにアーティストとしてそこにいる。

どんな経緯でアーティストを職業として選んだのか、どうやって自分のスタイルを得たのか。私は愚かしくも質問する。

C'est pas toi qui trouve ta façon. Elle va te trouver.
(スタイルは探すものじゃない。スタイルがあなたを見つけるのよ。)

ミントティーを啜りながら彼女はそう言った。一対の黒い瞳の深みに、哀しみと深い思考が映っていた。微笑むのだけれど、どことなく寂しそうな笑顔だった。

いつでもうちのアトリエに絵を描きにおいで。
と言ってくれたので、早々に行こうと思っている。

ラバトで絵画の先生をしているジョティさんは、大人から子供までの生徒たちに様々な画法を教えている。その教え方がいいのだろう、生徒たちの絵は自由で、豊かで、テーマは一貫しているのにどれも全然似ていないのだ。

例えば彼女が行った展示の一つに、「LA VIE EN BLEU」というのがある。
直訳すれば青色の人生だが、それはつまり、有名なEdith Piafの曲のタイトル「LA VIE EN ROSE(薔薇色の日々)」と対比する言葉だ。
つまり、「病気と共に生きる不幸な人生」を表す。彼女が作ったオリジナルのワードだ。

一見悲しげな言葉だが、この言葉はとあるクリニックでの絵画展示会のテーマとして取り上げられ、「持病があっても、病気を患っていても、青く静かな心で生きる。それは美しいことだ」というニュアンスが含められている。それは言葉で語られるのではなく、彼女の生徒たちが青い絵の具をふんだんに使って描いた壁一面に展示された絵画たちだった。

青は心を落ち着ける効果があるらしい。壁一面の青い絵画たちは、まるで病院を水族館のような空間に変身させた。
ジョティさんの話によると、病室に引き篭もりがちな車椅子の患者さんは、その展示に驚き、感動し、思わず絵を描きたくなってしまうほどだったという。

絵画の力。アートの力。
彼女の知識と経験ゆえに、説得力ある力強いメッセージだった。

彼女が見せてくれたクリニックの壁に飾られた無数の青い絵が忘れられなくて、今晩久しぶりに絵の具を手に取った。

視界の上に流れていく景色が見えなくなってしまうくらい、現実は忙しない。
自ら立ち止まって見ようとしなければ、すぐにその色彩は損なわれてしまう。
憶えておこうと思った夢は、夜が明けると消えてなくなってしまう。

アートは夢も空想も心の叫びも全部、ぶつけることができる。そう信じている人が、少なからずいる。
ただでさえ自分を表現することが難しい世界の中で、ただでさえ言葉で表現することが下手くそな私は、
こうして忘れないように、彼女らの放つエネルギーを描いて、そして書き留めておく。
いつか、自分のHOWを見つけられるように。