Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

土のついたサツマイモ

今週のお題「芋」


「モロッコに来て不自由することってありますか?」

と知り合いの日本人に尋ねてみたことがある。
10年近くモロッコの旦那さんと、3人のお子さんと暮らすお母さんだ。

彼女は2秒ほど考えて、さらりと答えた。
「ラップが剥がれないことぐらいかなあ。」

確かにその、薄いプラスチックのフィルムは、その筒からなかなか剥がれない。
少し爪が伸びているときにはなんとかそのくっついた頑固なフィルムの端を摘み出すことができるが、
つまみ出した部分とへばりついた部分で裂けてしまい、脳の隅で小さなイライラが募ってしまうのだ。

「すごく、わかるなあ。」と思う。

けれど、その答えは、さほど大した悩みもなく、
要するに何にも困っていない
という気色を帯びていた。

確かに、ここでの生活は本当に満ち足りていて、文句のつけようがないかもしれない。多分。

***

YouTubeか何かで季節のレシピでサツマイモの入ったお味噌汁を見かけた。

紫色の皮の中に、秘密めいた黄金のふわふわな甘みを帯びたものが詰まっている。
あの甘みと温もりを思い出す。

そして無性にサツマイモが食べたくなる。

確かモロッコにも売っていたはずだ。と、早速、スーパーで探してみると、

ジャガイモの横に、丸いピンク色の皮のじゃがいもより一回り小さい芋と、泥がたっぷりついた紫色の芋が並んでいる。
ジャガイモと、そのピンク色の芋は泥など一才付着していないのに、
その隣に陳列されているサツマイモらしき商品だけは、紫の皮の上に分厚い黒い泥が固まって付着している。

私は迷った。なぜこんなにも土がついているのだろう。

これを家のシンクで洗うのが面倒だな。触れると土がついてしまうな。

農作業をするときに土がつくことは全然平気だけど、
スーパーに買い物に来て手が泥んこになるのはなんだか嫌だった。

他の芋には泥がついていないのに何でだろう。としばらく芋の前で考えていた。
ジャガイモを紙袋につめる人々はいても、誰も泥だらけのサツマイモには手を出す様子はない(たまたまかもしれないが)。

でもその新鮮な姿になんとなく惹かれた。

農家さんがそのままスーパーに持ってきて、乱雑に並べたかのような姿。
さっきまでしっかり土の中で栄養を吸い取っていた実が、そのまま場違いな場所に連れてこられたような。

これを掘り出したモロッコの人々は、湿った土を払いのけることもなく、コンテナにぶちこみ、都市に運ばれるトラックに積んだのだろう。
きっと長靴を履き、汚れても良い作業服を着ている人たちだ。

何度も芋を運んだであろうトラックは、最初から泥が落ちているから、気にすることはない。
スーパーの人も「生まれたて」の姿のままのさつまいもを特に疑問も持たずに受け入れ、そのまま野菜コーナーに並べる。

単なる想像だが、そんな過程を踏んでやってきたサツマイモが、ちょっと愛おしくなった。
泥がついていて何が悪いのだろう。少しでも手に取るのを躊躇した私を許してくれ。

3個ほど紙袋に入れて、焼き芋にすること決めた。

***

モロッコへきて約8ヶ月が経った。
繰り返しのようで毎日少しずつ違う「間違え探しの絵」のような日々だった。
(世界では、山間部で地震が起こったり、近くの国で洪水が起こったり、中東では戦争が勃発したりしているけれど)

文字通り、あくまで主観的な話をすると、
ラップがなかなか剥がれない以外には、
特に不自由のない生活を送っている。

毎日仕事で目にする経済や政治のニュース。知らないフランス語の単語。
外交的な特殊な言い回しや、いまだに慣れない書類作業。
そういうものに対しても徐々に適応し、なんとなく生活リズムを掴んできている。多分。

家にいる時は、丁寧に料理をするように心がけたり、本をたくさん読んだりして
かつて海外駐在をしていた頃のように、勤務外時間は趣味で埋め尽くしてみる。

オモチロイことがないかなあと、ぶらりと街を散策できる治安の良さがある。
電気と水があり、ボランティアや学生時代と比べれば、ずっと良い生活を送っている。

そんな日々が「慣れ」に染まる。

読む記事にも、調べる文献にも、
「この地球が100%良い方向に向かってますよ!」という文言はないにしろ
「明日、みなさんは野垂れ死ます。」という終末的な文言も見当たらない。
そもそも、みな、極端なことはそんなに書かないし、当たり前のことは当たり前で置いておく。何も言わずに。

当たり前なことこそ、当たり前でなくなったときに困るものなのにね。

次第にこの満ち足りた生活に対しても
「ありがたいなあ」という気持ちを、抱くことも減ってきているように感じる。
目がつくのは、小さな不満と、不安な未来ばかり。

それでも、やっぱり外国にいると、
これまでの常識を逸するような小さな出来事は起こり続ける。
剥がれないラップも、サツマイモの泥も、別に摩訶不思議体験でもなく、オモチロイ何かでもないが。

それでも今を見つめることを忘れないようにしなくちゃと思い、こうして久方ぶりに文章を書いている。
***

苦労をして、固まった泥を洗い流す。
タワシだと皮まで剥がれてしまうので、とにかく泥を湿らせて落とし、こびりついたものは優しく爪で取り除く。

そういう小さな不自由が、時々心地よかったりするものだ。
休日はそういう時間がある。幸せなことだと思う。

どうしても汚れが取れなかった部分は皮を取り除き、
アルミホイルに包んでフライパンで蒸し焼きをしてみる。

モロッコ産のサツマイモは、中身は黄色というよりは白っぽく、
蜜の量はそれほど多くないようだった。

日本の焼き芋ほど甘くは、ない。
日本の焼き芋が、恋しくなる。