Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

哀愁フィリピン

2019年の夏に、フィリピンに旅行をした。

蒸し暑くて、夜が短くて、太陽と笑い声が黄色く弾けてどこまでもいけそうな

そういう夏を、私は唐突に思い出した。

Remembering The Days of Cauayan


あの旅行で私は、
マニラをすっ飛ばしてカウワヤン(Cauayan)というネグロス諸島の小さな街へ向かった。

ウイスキーの瓶が空になるまで語り明かした夜とか、
粗末な作りのキオスク(売店)に並んでいるタガログ語の教科書とか、
ヤギの内臓のスープの強烈な臭みとか、
日焼けで火傷のようになった太ももとか。

あの場所での、たった二日間そこらのひとときが、

強烈に、

かけがえのない記憶として残っている。

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パソコンの画面越しに4年以上、オンライン英会話で話し続けた先生、マークは、
今や友達。

おかげで互いのことはよく知ってはいるものの、
私が2019年にフィリピンに行くまでは、実際に会ったことがなかった。

カメルーンから帰ったら絶対に会いに行こう。そう心に決めていた。

「会って、実際に話すことは本当に大切なんだ。」
誰から教えてもらったでもない、ただ内から生まれ出てきた信念。
夏季に得られた休暇を迷わずフィリピン行きに費やした。

今となっては本当に自由に渡航ができる時代で良かったと思う。
あの時期に、あの選択をして本当によかった。

カウワヤン中の市街地、畑、路地、市場、川なんかを全部見せてくれた。
トライシクル(電動三輪車)に乗って道路を駆け抜けながら、
Skype上で話していた彼が本当に実在していることに感動を覚えながら他愛のない会話を繰り広げていた。

マークの叔母にあたるティタさんとの出会いも強烈だった。


サングラスをうっかりおでこにかけたまま夜を迎えた私に向かって、
「もう日は落ちたわよ、レディー。」
と映画みたいなセリフを言って、
テラスにショットグラスとテキーラを持って登場したティタさんが印象的だった。

また、
「次は絶対にあんたのフィアンセを連れてくるのよ!」
酔っ払いながら何度も同じことを言われたので、
私は「うん、絶対連れてくるよ」と何度も同じように答えた。

いつ、連れて行けるだろうか。

Midnight Call

時を戻して、今日。5月。
過去をついつい振り返りがちな月。

暖かい空気と冷たい風がまざり、
雨が降って肌寒いかと思えば太陽が顔を出して半袖日和と不安定。

さつき病というのは、
上がり下がりの激しい気候に左右される心なのかもしれないな。
なんて思いながら、旅ができないこの日々をついつい呪いたくなる。

昨晩はちょっとほろ酔いで、眠れそうで眠れない深夜だったから、
際限なく昔の旅行のことや仕事のことを思い出していた。哀愁というやつか。

本当に唐突に、ふと、マークに連絡を取りたいと思った。
大学時代から協力隊時代までずっと、オンライン英会話でお世話になっていた先生であり、今となっては本当に良き友達。

…なのだけど、SNSを一切持たない主義の彼とは、フィリピンに行った後はずっと音信不通だった。
だからマークの彼女で、私の数少ないフィリピンの友人アイカのLINEを通して連絡することしかできなかった。

午前1時(フィリピンでは午前0時)ごろに、アイカにLINE電話をかけた。
一瞬にしてつながる日本からフィリピンへの電波。不思議だなあ。
そう思いながら5秒くらいコール音を聞いて、思い直してキャンセルした。

酔っているとやりがちな深夜コール、私の悪い癖なのです。

フィリピンの思い出がよぎったせいで、ついついアイカに電話をかけてしまった。
このコールのせいで目を覚さなければいいけど…と思いながら自分も寝ようと思った矢先、

なんとリアクティブされたマークのFacebookアカウントから、メッセージが来たのだ。

「Are you ok?」


何に対するAre you ok?か分からんが、
とにかく2019年以来にマークから来た久方ぶりのメッセージは「大丈夫?」だった。

そして、私たちは電話をした。

「本当に電話のタイミングが良かった。たまたまアイカの携帯が隣にあって、
たまたまLINE電話がかかってきたのを見たんだよ。」

午前1時に起きた奇跡。

だから深夜コールはやめられない。

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Language


「レッスンを始めたての頃は、本当にひどい英語だったのに、
今やこうして普通に会話しているって、考えたらすごいよな」

マークは電話越しにそう言った。

確かに、当時は英語で電話することさえも怖かったのに(言葉に詰まって先方に切られた経験がある)
今や海外の大学院で学術記事を英語で読み、論文を英語で書こうとしているのだから、すごい進歩だと思う。

こんな私でも、ちゃんと成長できているんだなあ。

国外に友達ができて、遠くにいても時々、思い出話をしながら未来のことも語り合える楽しさは、
私にとって、何にも変えられないかけがえのないものになっている。

フランス語と英語はもっとうまくなりたいし、
中国語も、スペイン語もやりたい。それは、なぜか。

これから暮らすであろう国で、出会うであろう人々と
心を通い合わせるために、
言葉は不可欠だと思うから。

翻訳機を使ったり互いの母語ではない言葉でやりとりをするだけでは
培えないものがあると、私はやはり、思ってしまう。

欲張りな私は、やっぱり言語を学ぶことをやめられない。

Stay In My Life

マークは弁護士を目指している。

2020年に法学部の学位をとって、さあ国家試験!というところにコロナが猛威をふるい、
なんとフィリピンで前代未聞の、国家試験中止が言い渡されたのだそう。

それで必死に準備をしていた弁護士になるための試験が受けられぬまま今に至る彼は、
コロナ患者を受け入れる病院の事務職を任されているとのこと。

Skype上で出会った当時から、マークは弟と妹の学費や食事の面倒を見るしっかり者のお兄さんだった。
頭も良くて、しっかり自分の人生プランを考えていて、すごいなあと思っていた。

両親の離婚、母親の育児放棄などによって強いられてきた数々の経済的危機を乗り越えてきた人だった。
今も、彼の確固たる強さとか前向きな心に励まされる。

「Thank you for staying in my life」

電話を終えた後、彼はこうメッセージを送ってくれた。
日本語に訳すと恥ずかしいくらい率直な、でもとても嬉しい言葉。

本当に、あなたが私の人生に存在してくれていて良かった。

SNSで世界と繋がることが容易になっても、
こうして数年来連絡をとれる友達というのは数少ない。

改めて、大切にしたいなって思う。

If not...


私はフィリピンにご縁があるようで、
6月から、アテネオ大学というところの授業を履修することになっている。

残念ながらコロナ禍なので授業はオンラインだけど、
本来なら今月中に渡航することになっていた。

もしコロナがなければ、もしパンデミックがなければ、

私はこの夏に、ティタの言うフィアンセを連れて、フィリピンのカウワヤンに飛んでいただろう。
ティタに会って、多分浴びるようにウイスキーを飲みながらまた話をしただろう。

マークは今頃、弁護士としてフィリピンでその名を轟かせていただろう。
きっとマニラで大活躍して、自分の事務所を作っていたんじゃなかろうか。

そして密であるとかないとか気にせずに、
アテネオ大学のキャンパスでたくさんの友達と話をしたり、

夜が更ける中、微睡みながらもクラスメイトたちと
課題に追われる日々を過ごしていただろう。

休日にはフィリピンのリゾート地に遊びに出かけたりしていただろう。

今の状況を呪ったって、仕方がないのはわかっている。
全ては空想なのかもしれない。

でも、私たちは近いうちにこのパンデミックを乗り越えると思う。

その時に、全てが後ろ倒しで実現可能になるということを、信じていたい。

楽しいことは後にとっておこう。

今は、そう、ただ哀愁に浸り、友達と電話をして、

文章を綴るのみ。

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