Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

駄菓子屋讃歌

駄菓子屋は子どもの夢だと思う。

銅のコインを渡すだけで甘いお菓子をくれる「じーじ」や「ばーば」が好きだった。
校区街より外の駄菓子屋に行ってちょっと背徳感を味わいながらも、近所には売ってないお菓子を買うのが好きだった。

脳裏の記憶はモノクロで淡い。
でもなんだか思い出すと懐かしくて笑みが溢れる思い出だったりする。

大人になって、駄菓子屋はなぜか入りづらい店になった。
入口が子ども向けなわけでも、お菓子を食べないわけでもないのに、
なぜか駄菓子屋では菓子を買わなくなった。なぜだろうな。

五円や十円を握りしめて、ちっちゃなガムとかキャンディーを頬張る。
あれが至福の時だった子ども時代に比べると、私は日常に多くのことを求めすぎているような気さえする。

なぜ駄菓子屋のことを書いているのかというと、
先日旅行をした場所で、かなり風変わりの駄菓子屋を見つけたからである。

無人駅を降り小学校を横切ると、古いコンビニのような作りの建物がある。
白いコンクリートの壁に沿って、自販機が並んでいる。
周りは畑だけど、小学校が近いのでお客は来るのだろう。

年末のこの時期だから閉まっているだろうと中を覗くと、蛍光灯がついている。
案外大きくて本当にコンビニのような大きさ。

驚きながらドアを引くと鍵がかかっていて、薄暗い店の中からおじいちゃんが出てきて、
「いらっしゃい」とごく普通に迎えてくれた。

そこに並んでいたのは懐かしいお菓子。

ソフトキャンデーとかパチパチするわたあめとか、チョコレートとかポテチとか。
あーこれ小さい時買ってたなあみたいなお菓子を手に取っては淡い記憶を辿る。

駄菓子が陳列された横には砂糖や乾麺、調味料なども売っている。
大人も入りやすいよう配慮してくれているのだろうか。

170円分のお菓子を買うと、レジのおじいちゃんがビスケット(買ったら多分100円くらいするだろう)をプレゼントしてくれた。
子ども用のくじが置いてあって、多分当たりが出たらお菓子をプレゼントしてもらえるんだろう。

算数の弱い私には、おじいちゃんがどこで得をしているのか全くわからないけれど、
何はともあれ、年の瀬の寂しい寒空にいながら、温かくて懐かしい駄菓子を手にしてちょっと、嬉しくなった。

かつて神戸に住んでいた時に、和田岬でも駄菓子屋に行ったことを思い出した。
大人四人でガムかラムネについていたクジを引いたり、子ども時代には見かけなかった最先端お菓子を見つけて買ってみたりと、大人でも楽しめるものであることはなんとなく知っていた。

でも駄菓子屋といえばやっぱり子どもの秘密基地で、子どもの背丈に合わせて流行りのお菓子が並べられているし、キャンディーもガムも一個売りなので買ってその場で食べるのが普通なので「いい大人が・・・」みたいな気分になるのは否めない。

まあでもそんな場所だからこそ、モノクロの淡い記憶が、今になって蘇ってきて、美化されて愛おしい感じになるのだろうか。

コロナとかで、やり過ぎなプラスチック包装がさらにやり過ぎになった。

スーパーでお菓子を買うと、プラスチックin プラスチックの個包装も珍しくはない。
ビニールを有料にする目的はもはや忘却されて、私たちはプラスチックにまみれながら生きているわけです。

私が駄菓子屋をやたらめったらここで讃歌したい理由の一つは、小売りをしてくれるところ。

小売りなら買いたい時に買って、買いすぎなくて、カバンも包装もいらない。
瓶に入った干し肉みたいなやつとかガチャガチャで出てくるガムとか、ああいうのがとてもいいと思う。

最近はそれらがまだ存在しているのかはわからないけれど、ガムを手に取り、壁にぶら下がった菓子袋を一枚ちぎってレジに持ってくと、「じーじ」や「ばーば」がそろばんで計算するあの風景は、忘れたくないなあ、と思うのです。

新年あけましておめでとうございます。駄菓子屋万歳。