お久しぶりです。突然ですが、コスタリカから帰国したのち、再びモロッコに来ました。
「え、モロッコってあの、サッカー4位やったところ?」
と思った皆様、その通りでございます。すごいですよね。
今年は女子サッカーに期待ですね!
日本から直通便ないし、遠いし、どこにあるかよく知られていないこの国で、働くことになりました。
縁もゆかりもないと感じるかと思いますが、モロッコのタコは大阪のたこ焼きに使われているし、一昔前に主婦間で流行った「タジン鍋」もモロッコ発祥です。
実感のないままモロッコに着いた
私としては嬉しい駐在先。なぜなら大学時代にモロッコ旅をしたから。
バックパックひとつで1ヶ月、貧乏な学生旅行とはいえあちこち回ったあの頃を思い出すと、懐かしくてでもちょっと小っ恥ずかしくなる。
まあそれでも、こうしてまた10年以上経ってから戻って来れるのは嬉しいことである。
フランス語も話せるようになったし、今回は旅行じゃなくて仕事だし、前よりは現地の人と仲良くなれるんじゃないかと思って飛行機に乗った。
エールフランスには、何度も乗った。機内でシャンパンを注文するのが好きだ。
11時間の飛行は疲れないと言ったら嘘になるが、理由なく歩き回り、水をたくさん飲み、映画を三本見た後に4時間くらい寝て、飯が運ばれてきたらそれを食してぼんやりしていれば、到着する。
見慣れすぎて何の新鮮さも感じないシャルルドゴール国際空港。肌寒いフランス。
今回もカメルーンに向かうんじゃないかという錯覚に陥りながらも、スラムダンクを観ながら時間を潰していた。
桜木が赤木との闘いを終えた頃に、搭乗ゲートの近くにワラワラと集まってきたのは、サブサハラアフリカの人々とは全く顔立ちの違う中東系の人々、つまりモロッコ人たちだった。それでも私は、日本に離れた感覚もモロッコに向かう実感も湧かないままだった。
そして、3時間のフライトを経て、首都のラバトに到着した。
白い街、透明な蒼。
ラバトは美しく、優雅だと感じた。
歩道がある。道路が綺麗。そしてアフリカの太陽はやはり日本より大きくて光が強い。
朝晩は驚くほどに冷え込み、特に建物の中ではダウンジャケット活躍するほどだった(2月現在)。
初出勤の朝は7時になっても明るくならず、不安になったものだった。
雨の日は少なく、すっきり晴れることが多い。快晴の空に何本も飛行機雲がかかり、朝陽がその曲線たちを紅く染める。
くっきりとした海の青とは違う、透き通るような空の蒼は、かつてモロッコを旅した時には気づかなかった。
でもフラッシュバックみたいに突然思い出されるかもめの群れや港町の喧騒から、
確かに自分はモロッコに来たことがあるという記憶を確かめることができた。
タクシーにぼったくられることもなく、酔っ払いに絡まれることもなく(モロッコは公共の場では飲酒禁止)
メディナ(旧市街)の美しい街並みを一人何時間もまわって両手に買い物バックを抱えていても安心して歩くことができた。
スマヒリヤ、モロッコ。
正直、いまだに「モロッコ」を感じられているかというと、そうでもないのかもしれない。
やっぱり悔しいのは現地語(ダリジャというモロッコ方言のアラビア語やベルベル語)を話せないと心を通わせることはできないということ。
タクシーの運転手やメディナで商売をする人々の多くがダリジャしか話せなかったり、フランス語だけを話すと「外国人」と線を引くのが目に見えてわかる。
元協力隊でカメルーンの現地語を話した時に実感したあの心のシンクロをここで体感するには、やっぱり私が頑張ってダリジャを話すしかない。
そう思ってはや二週間が経った。
サラーム(こんにちは)とかワッハ(オッケー)とかをタイトルにして、楽しくモロッコ談を書きたかったのだけど、今は正直あまりネタがない。
だから、スマヒリヤ(すみません)にしてみた。
すみません、モロッコ。今は仕事で使うフランス語で精一杯です。
すみません、モロッコ。タジン鍋買って、郷土料理じゃなくて米を炊こうとしてます。
すみません、モロッコ。初めて来た時よりも感動が薄いんです。
その理由はきっと、まだ田舎町とかローカルな店とかに行けてないからなんだろう。
きっと、きっと、この駐在の間に面白い場所を見つけて、冒険の記録をここに記すことができるだろう。
そう信じて、ブログを再開します。
スマヒリヤ・モロッコ。サラーム・モロッコ。