7年前、モロッコに行った。
「シャウエン」という青い街の一枚の写真が、ただ私たちを惹きつけて離さなかった。
色とはこんなに美しいものなのかと、それほど無い知識を絞り出して、その景色にふさわしそうな語彙を探した。
行動力と好奇心の塊のような私たちは、その数週間後にガイドブックを片手に関西国際空港に立っていた。
肌で感じた灼熱の痛みとか、
夜行バスで数日かけて移動した時の疲労感とか、
本気で相手を疑うことの難しさとか、
貧乏学生の発揮する呆れるほどの倹約主義が裏目に出た時の恥ずかしさとか、
ああいうのは本当に、ホンモノの感覚だったなあと、今になって思う。
そしてあれがきっと、初めて自分の力で手に入れた「ホンモノの感覚」だったんじゃ無いかなと、強く思う。
もしかするとあの旅から、知らない世界への憧れと興味が爆発的に生まれたのかもしれない。
もしかするとカメルーンへ行くよりもずっと前から、世界の中の自分がどんなものかを捜していて、
ゴマ粒のような自分自身を必死で肯定しようと、存在を認めようと、生きている感覚を掴もうとして行動していたのかもしれない。
何も知らない、何もできない。
知らない言葉で響き渡る、祈りの唄が
なぜこうも耳に心地よく響いてくるのか?
綺麗で、謎めいていて、どこかあたたかいようなその声は、
世界のどこかで空爆や銃撃戦があることをも忘れさせてしまう力があった。
いわゆる「イスラム過激派組織」が猛威を振るい、内乱や紛争が絶えないのが中東の一般的なイメージだけど、
イスラームという教えに従い慎ましく生きる人々は美しい。
祈るために膝を折り、腰を曲げ、地に手と頭をつけるその姿が、その身に纏う彩の衣が一斉に神の方角へ向かって波打つその姿が、息を呑むほど美しい。
血を血で洗うような世界が嘘のように、そこは明るくて無垢に見えた。
彷徨い歩いたマラケシュの旧市街は混沌としていて、埃っぽくて、
観光客を「カモ」扱いする視線を感じる路地が何本も通っていて、何か怖い病気を持っていそうな野良犬が徘徊している。
けれど、私はその街に太陽が昇ってきて、靄のかかる朝焼けの空にアザーン(モスクからコーラン読みが礼拝を呼び掛ける放送)が響き渡るのを聴いたとき、言葉にできない感動をいたいたことを今も忘れずに覚えている。
怪しげな街が光と祈りの音で彩られ、空っぽだった薄暗い道に人々がどこからともなく現れ、誰もがモスクに向かって歩いてゆく。アザーンだけが響いていた空間に、人々の声が混ざってゆく。子どもが大人たちの足元を駆けながら笑い声を響かせる。生き生きとした美しい朝を、私は安ホテルのバルコニーから眺めていた。(7年前に自分が書いた日記より)
世界はこうも知らないものがあるのなら、もっと知りたい。もっと自分の目で確かめたい。
そんな気持ちを溢れさせる記憶のかけらは、7年の時を経た今でもこうして鮮やかに残っている。
私は何も知らない。その世界が「いかに美しく」て「いかに穢れている」かを。
私は私の目でしかそれを判断できない。知識なんてものは頼りなく、自信なさげに脳内のすみで様子を伺っているだけ。
それでも、そんなちっぽけな自分でも自分が生きていく場所はこの途方もなく広い「世界」でありたいと、欲張りな私は望んでしまった。
空と地がつながっているように
サハラ砂漠には、マラケシュの道端で声をかけてきた怪しい商人の安いツアーを予約して行くことにした。
今となってはなぜあれほど注意深く旅行をしていたのに疑うことをしなかったのか、わからない。
ボロボロの車に乗せられて何時間も山道や荒れた平原を超えるその道中、よくなにも奪われず、なにもトラブルなく過ごすことができたなと思う。
一円単位でがめつく土産屋と値段交渉をして、できるだけ安い旅館を探して、「うざい」モロッコ人の絡みを振り解きながら街を探索していたが、
英語もろくに話せず、ケチケチと金のことばかり考えながら、でも旅行は楽しもうとする私の方がよっぽど「うざい」のではないかと今になってすごくシンプルな観点に気付かざるを得なかった。
恥ずかしくなるほど、残酷な無知だと、笑って欲しい。
何はともあれ、そんなケチな私は生まれて初めて砂漠を見た。
砂丘じゃなく、本当に永遠に続きそうな砂の平原、砂漠だ。
一体何なんだ、ここは。砂混じりの温い風とラクダの硬い体毛、照りつけるオレンジの太陽光、そして目の前に広がるのは・・・
私たちが着いたのは、風が吹き込みにくそうな砂の丘と丘の間の窪みだった。そこにはすでにテントが張られていて、
タジン鍋とガスコンロ、そして二人前の具材を運んでくれた案内のおじさんが丁寧に夕食を作ってくれた。
陽が傾き始めると突然空気の温度は下がった。
おじさんが料理を作ってくれている間、紫の空の下で歩き疲れたラクダがそこら中にフンを転がしながら餌を食っている。
ラクダの瞳は大きく、星屑が詰まっているかのようにキラキラとして透明である。
その頃には金がどうこう、このツアーが胡散臭いなどといったもやついた感情は消えていた。
陽が沈むと黄色い砂は黒い丘が連なる静かな闇に変わり、丘の上には埋め尽くすような星が瞬いた。
ぞくり、とするほどの星の数。境目のない空と地があまりにも現実離れしている。私はどこに連れてこられたのか?
なにもないのだが、なにかが存在する。強烈に肌が、心が、感じ取っている「なにか」があった。
いまだにそれを言葉にできないでいるのだけど、
綺麗も汚いも、モロッコ人も我々も、生も死も、全部混沌に混じってしまったような「感じ」がして、止められなかった。境界線を探してもないような気がする。怖い。静かなのにうるさくて、耳が痛い。この「感じ」は何なの?
怖気づいて目をギュッと閉じる。数分してから恐る恐る開いたら、自分が中に浮かんでいるのではないかと錯覚するほどの闇に、無数の光の粒が埋め尽くされている。永遠?カオス?ふさわしい言葉が、見つからない。
テントに帰った頃には全身の粟立ちはおさまり、急に襲った眠気に逆えずすぐに朝になった。
原点
モロッコへの旅行は一ヶ月間だったので、この砂漠ツアーはそのうちの2日間に過ぎない。
でも圧倒的に、記憶の中に刻まれている。楽しかった思い出というよりは恐怖に近い、サハラ砂漠での記憶。
この経験きっかけに、私は文章を書き始めたような気がする。これまでの日記ともエッセーとも取れないメモ書きを
形にして人に読んでもらおうと決めたのがこの旅行から帰国した後だった。
それから、文章は私のくせになった。協力隊としてのカメルーンでの2年間の体験を自分なりの言葉で記して、本を出した。
思考を殴り書きしたような代物なのに、中にはそれがいいと言ってくれる人がいてくれて、本当に嬉しかった。
私はこれからも、非力でちっぽけでゴマ粒の私を、肯定し続けたい。ケチで視野の狭い7年前の私に、少なくともサハラ砂漠に行ったことだけは褒めてあげたい。生きる場所は広くて未知がたくさんの世界がいいと思い続けているのは、あの日がきっかけだと思うから。
そういうちっぽけなりの思考や経験、これからも文章にしていきたいな。