すっかり一ヶ月ものを書かずに過ごした。
抜け殻のような7月だった。
卒業式が終わり、ペルーの大冒険が終わり、続々と友達がコスタリカを去っていく。
オンラインでフィリピンの授業を受けて課題に追われながらも、寂しいだの帰りたいだのという気持ちでいっぱいになった。
相変わらず早朝にハチドリが透き通る声で鳴いている。
午後になると雨が降ったり、時々晴れてハッとするような綺麗な夕日が見えることもある。
そういう時、ふと思い立って画用紙ともらった絵の具で絵を描いた。
ギターがあれば歌いたかったんだけど、持っていない。
手持ち無沙汰で、勉強に疲れた時に指に絵の具をつけて白い画用紙の上に色を乗せた。
ちょうどNASAが新たな銀河を発見した写真をニュースで流したときに、私は花火を描こうとして失敗し、宇宙のような絵が出来上がった。
プールに行った日に晴れた空が水面に滲んで揺れているのを描きたくて、青をたくさん乗せた絵を描いた。
色々とストーリがある絵が、出来上がっては増えていった。
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ちょっと気を抜くと考えすぎるこの癖。
何もしない時間が、価値のない時間だと考えがちだったけれど、
なんとなく目を閉じて、「無」になってみるって、やってみると案外とても難しいことだった。
マルチタスクが当たり前になり、常にあれこれ考えながら日々を過ごしている。
本当に毎日を大切にできているかと、誰にも問われることはないので気づけなかったけど、
その日の命をなんとなく明日や数ヶ月後のために使っているような気がする。
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日本で安倍元総理が撃たれた時、コスタリカは夜の23時ごろだった。
フィリピンの授業が終わって、そろそろ寝ようかなと思った頃にそのニュースを見た。
速報で、同じことをおうむ返ししているライブ動画に、新たなニュースが入ってくるのをじっとまった。
深夜の2時か3時くらいに、安倍さんの死亡が確認された。ズキズキと胸が痛くて、恐ろしい気持ちになった。
その日はなんだか眠れなくて、ベットの中でやっぱりあれこれ考えていた。
日本はどうなっているんだ。この世界はどうなっているんだ。
そういうようなことを考えていたんだと思うが、答えはない。誰も答えてくれない。
そんな錯綜する思考の中で、睡眠の質は落ち、やっぱり翌日も眠かった。
そうして、寝不足が続いた時にやっと、
時々考えるスイッチをオフにしなければならないんだと気づいた。
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人間はないものねだりだ
手に入れると当たり前。なければ不平をいう。
そして失うとそれが特別だったことに気づく。
戦争で人が殺されている。
温暖化のせいで山火事があって、家が燃えて人が泣いている。
ジャーナリストが紛争地で拘束される。
感染症はどこまでも続いている。
そういう混沌の中で、近所の森を歩きながら「考えすぎだなあ」などと呟ける余裕があるなんて、
本当に悲しいほど幸運で、皮肉なほど有り難い事実である。
どうしても、私は銃を向けられる筋合いはないし、向けられることはないという確信から逃れられない。
なぜだろう。でもきっとみんなそうなんじゃないかな。
安倍さんのあのニュースを見るまでは、彼が本物の銃で心臓を狙われたことや、あの最初の2発が銃声だったことなんて誰も想像しなかったんじゃないか。
あまりにも、あまりにも、信じられないと思うのは、どこかでそんな残酷で醜いものを「空想」だと無視していたからなのではないか。
・・・おっと、また考えすぎているな。
*
Do you feel peace in chaos?
と友達が電話で尋ねてきた。
Yes.
と私は答える。カオスだが、ピースフルなのだ。
世界はすぐそこにあって、殺し合いとか恨み憎しみとか落胆とか悲壮に溢れるその崖っぷちにいるような気配はある。
それでも、私の周りは奇跡的に平和なのだ。雨が綺麗で、鳥の声がして、湿った緑の匂いがするんだ。
皮肉だと笑ってくれていい。
でも私はそれに感謝をして、明日も散歩をしながら「考えすぎないようにする」ために頭を悩ませるのだろう。
だから、目を閉じて、呼吸をする。
頭の中に白いキャンバスを思い浮かべ、違うものが浮かんだらまた真っ白に塗るのだ。
それを20分やるだけでも、心の波がちょっと静まる。
抜け殻の気分になる7月は、そんなふうに乗り越えた。
数ヶ月後に迫る卒業と、白紙状態の今後のプラン。
そういうことに不安を抱けるのも、幸せなことなんだろうね。