人生の多くの出来事は、
ロマンもクソもないありきたりな繰り返しなのかもしれない。
そういう、同じような日常に異なった景色を見出すことは、
アートが得意とすることなのかもしれないと思って絵を描いた。
それはもう欲の溢れた絵。
旅に出たい、世界で美しいものを見出したい、混沌の中で凛と生きていたい。
雨期の続く毎日に、青空が刺した時。
突き刺さるような雨が街灯に反射して霧に果てていく時。
ずっと水中に潜っているような感覚だった。
私はどこまでいくのだろう。どこまで道に迷い続けていいのだろう。
触れられるもの、目の前に存在するもの
それだけしか、私は信じる事ができないのかもしれない。
誰も導く人などいない中、平和を見出せるのは心のうちの静けさだけ。
まあそれでも、
私らしく生きている。
それを愛でられる毎日を、ただ抱きしめる。
溢れれば絵を描こう。曲を奏でよう。文章を書こう。
その整理できない気持ちを、誰にでもなくただ空気の中に吐き出す。
これでいいと言い聞かせながら。
激動に見えるものは、静寂で、
沈黙こそが混沌なのかもしれない。
ありきたりを「つまらない」という前に、立ち止まる。
その日々は、いつか終わってしまうから。寂しさに飲まれてしまうその心が怖くて強がる自分がいる。
*
コスタリカの国連平和大学の授業はあと二週間で終了する。
泣いても笑っても卒業して、その後はそれぞれの人生。
たまたまここに集まって、たまたま出会った人たち。不思議なご縁だなあ。
「平和」という言葉の意味を、これほど考えに考え尽くした事があっただろうか。
結局答えの出ない問題ばかりだった。ただ現状を知ること、ただ思考を続けること、そんなトレーニングを続けてきたような1年弱だった。
一つ一つの言動が差別や排斥を生み出す可能性が恐ろしさと同時に、
優しさや温もりに溢れる言葉を紡ぐこともできるということを学んだ。
人種差別や環境破壊について肌で感じて、怒りや悲しみで震えた。
悔しくて辛いと思った。どうしようもない世界の歪みに対して、自分は無力だ。
*
目まぐるしい変化の中でこれまで「正しい」と思ってきたものが崩れ去り、新しい価値観を抱き始めている自分がいる。
ゼロから何かを創り出すことの不安と、新しい冒険への好奇心とが混ざり合っている。
自信は、ない。これからどうなるのかという不安を並べればキリがないくらい。
でも、一緒に歌える人がいて、アートを愛でる人がいて、コスタリカの緑と雨を五感で抱きしめながらそれを共有できる仲間に囲まれていて。
これ以上いい学びの環境があるだろうか。
アートに正解はなくて、上下もなくて、何がアートかという定義もよくわからん。
だからこそそこに浮かんでいる事が心地いい。誰も何も咎めないから。
競争し続けなければならない世界で、そういう場所に居たいときだってあるでしょ。
*
気楽にやる。
ずっと私が苦手としていた心の持ち方。
どこかしら力が入りすぎていて、うまくリラックスできない事がある。
起きてもいない先のことを心配して、現状に柔軟になれない事がある。
糸が絡まってがんじがらめになっているのを、
丁寧に解くための作業が必要だったりする。
互いの話をするのは、素敵な事だと思う最近。
一緒に歌を歌える人がいることが、とても嬉しく思う最近。
人との距離がとても遠くなったパンデミックの中で、
こうして大学院のキャンパスの中庭で、木々の揺れるのを見ながら友達と語り合えること。
これからのことを、自由に「選択」ができるということ。
そういう何気なくすぎていく日々と、決して平等ではない世界で自由が感じられるこの瞬間が、
がかけがえのないひと時であることを、もう一度改めて噛み締めてみる。