それはもう突き抜けるほどの青空。その青空を覆い隠すほど高い、ゴツゴツとした岩山が広がる。
標高4800mあたりを走るバスの中で、延々と続くその壮大すぎる光景と、身体中の筋肉がぴんと伸ばされるような寒さに、ただ言葉を失った。
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高校生の時だったか、地理の資料集に載っていたマチュピチュ遺跡の写真を見て、ペルーに憧れたのを覚えている。
その時から、ペルーという南米の国に行くことが夢であり、憧れであり、JICA海外協力隊でも第一希望の国であった。(JICAではカメルーンに赴任することになったのだけど)
協力隊でフランス語を勉強してから、もっぱらアフリカ仏語圏でのキャリアを考え始めて、もうスペイン語圏である中南米にはご縁がないかなあと思っていた。しかし、一年前にAPS(Asian Peacebuilders Scholarship)プログラムに合格し、初めて中米のコスタリカで暮らすことになった。
そんなご縁に恵まれたこともあり、
国連平和大学院を晴れて卒業し、フィリピンのアテネオ大学院の授業が始まるまでの一週間の休暇に、ペルーに行くことに決めたのである。
Machu Picchu
憧れのマチュピチュはとても遠い場所にあった。
コスタリカの首都サンホセから、ペルーの首都リマまでフライトで3時間半。そこからさらにリマからクスコという街に飛ぶ。この時に標高が3000mくらい上がるので高山病にかかるひとが多いという(私は大丈夫でした)。
クスコは朝晩は1℃まで冷え込み(6月の場合)家の中も暖房などがないので、靴下やジャケットを着込んで寝なければ凍えた。澄んだ空気の中に浮かぶ朝焼けと、毎日のように続く晴れた天気に元気付けられる日々だった。
クスコから電車で4時間ほどのところに、Aguas Calientesという小さな街があり、そこがMachu Picchu Puebloというマチュピチュ遺跡への入り口となる場所になる。山脈に囲まれた小さな丘の街で、細道にたくさんのレストランや土産屋の並ぶ観光地だ。
そこに一泊し、翌日の早朝から遺跡行きのバスに乗る。崖っぷちの山をずんずん登って30分ほどで入り口に着き、事前に予約しておいたチケットを見せる。まだ朝の6時なのにたくさんの観光客が押し寄せていた。
夢が現実になる時、あまり実感を持てないままその瞬間を迎えることが多い。
自分の想像していたほど喜びを表現できなかったり、うまく現実に心がついていかないからなのかも知れない。
とにかくマチュピチュが目の前に広がっているのに、7時ごろに朝日が昇るまで、その感動を肌で感じられなかった。
謎の時差でやってきた感動と共に、古代の文明が創り上げたその石の遺跡の隅々を舐めるように見渡し、歩きまくる。陽が登り、影が刺す。
丘の上からマチュピチュを見渡すと、そのスケールがさらに現実味を帯びた。興奮しているのか、標高が高くて心拍数が上がっているのか分からないが、とにかくドキドキしていた。
Montaña de Siete Colores
朝4時に起床し、古びたバスに乗り込んだ。車窓から凍えながら朝日を見たり、タイヤのゴム全体がえぐれるようなパンクに遭遇したり、色んなことがあった長い道中だった。
標高5000m越えの山を歩いたのは、人生で初めてだった。そんな高い山日本にはない。
少し坂を登るだけで息が切れ、乾燥した空気と冷たい風に肌が切り裂かれるようだった。
息切れの旅に身をかがめて立ち止まると、身体中が酸素を必死に欲してか、血液がどくどくと巡っているのを感じた。周りの観光客がSi, puedes!(You can do it!)と言いながら私が登るのを応援してくれる。
鼻を真っ赤にして、砂だらけになって、なんとかしてたどり着いた頂上に広がる光景は、筆舌し難い美しさだった。ただ、氷点下の中に広がるパノラマに立ち、来てよかった、そんなふうに思った。
Laguna Humantay
一つ目の山歩きに続き、午前3:30起床、クスコからツアーバスで3時間半のハイキングスポットに行く。
岩山に見たことのない植物が茂っている。どれも身長の低い草で、岩肌がはっきりと見える。遠くの山には雪が積もっており、澄んだ空気の中で神秘的な光を放っていた。
川のせせらぎの中、おそらく4500mほどの標高の中を登っていく。昨日の5000mほどの息切れはなかったが、やはり少しの坂を登るだけでバテてしまう。何度も水を飲み、休憩し、2時間ほどのハイキングを終えた先に、これもまた驚きの光景が広がっていた。
Laguna Humantay (ウマンタイ湖)はアンデス山脈の中に位置していて、5473mあるウマンタイ山の雪解け水でできたコバルトブルーの湖だった。現地の人々は神聖な場所としてここを大切に守っているという。湖に足を入れたり泳いだりすることは禁止されていた。
Comida Peruana-ペルー料理
早起き、ハードな山歩き、極寒、そんな過酷な旅を支えてくれたのは、ペルーの美味しいご飯だった。
新鮮な野菜と魚介、香高い肉料理・・・。
ローカルレストランではスープとメインディッシュを合わせて3ドル程度だったので、
貧乏学生旅行にもかかわらず美味しい料理を毎日お腹いっぱい食べる事ができた。
クスコとリマで伝統料理も異なっているので(クスコはアルパカなどの肉料理、リマはセビーチェなどの魚介料理)、色々と試す事ができて本当に楽しかった。食べるのは旅の醍醐味。。。
ペルーに行けたこと自体とても特別な経験だったけど、それ以上に一緒に旅した友達(もはや山登りチームと呼びたいくらい)との時間が有り難かった。
一人ではきっとできなかったことが、沢山できた旅だったな。
ほんとありがとう。
ペルー、また来ます。