混ざり合う鳥の声、風の音、紫色の花、ハチドリ、青空、雲、雨と霧、燃えるような夕日。
コスタリカの小さな街にある、山上のキャンパスで、未熟ながらも思考しつづけ、発見し、学び、出逢い、別れた。
涙し、笑い、時に怒り、苦しむこともあった。
全ての感情が溢れるままに、私は絵を描き、歌を歌い、文章を書いてきた。
自由に「私」を表現できることを許してくれるこの環境が、特別であることを噛み締める。
ここにいる人々もまた、選択肢に恵まれながらも自己表現やらさらなる自由に焦がれながら思考して学ぶ人たちだったのかもしれない。
全員が知り合いとは言えなくても、今年ここにたまたま集まった人間同士が創った雰囲気の中に、私は確かに居た。
時に流れるように、時に澱みながら、不安とか希望をそれなりに抱えて生きた。
そういう過程自体が、意味深いもののような気がするし、自分のこれからに何かしら影響していくのではないかと思う。
ジェンダーの多様性や文化の違い。一言で片付けられそうなそんなことばひとつひとつに、果てしない意味が込められていて、どうにも手のつけようがない。
無意識の中に秘めていた謎とかが、何気ない会話の中で呆気なく解けてしまったりする。その割に、わかっていたつもりのことが分からなくなったりもする。
何もかも答えは出ないままだ。
*
時間がゆったりと流れる。太陽が昇る、沈む。雲が広がり、雨が降る。蝉が鳴き、雨が止み、闇の中に月が浮かぶ。
日本じゃ「愛してる」の一言もなかなか言えないけれど、ここでは抱擁の挨拶が当たり前になって、loveみたいなあったかい感情がとても身近で、不思議なくらい優しい気持ちになることができた。
同時に、真っ黒い感情で怒りに任せてどうしようもない時もあった。人種差別や、世界の不平等。ただ無力を実感し、指を咥えてその事実を眺めている自分を嫌悪した。
明日よりも今日を、過去よりもその瞬間を大切にしろと言われているようだった。感じて、感じたままを表現しろと、身体が云うのだ。泳ぎ、歩き、景色を脳裏に焼き付ける。
そんな全力の「今」を生き、知らぬ間に国連平和大学の全過程が終了したことに戸惑い驚きながら、帰国していく学生と涙の別れをする暇もなく、私は旅をしたり、大切な人達のことを想っている。
そしてまた、絵を描き、歌を歌い、文章を書く。
*
コスタリカでの1年弱、私は変わったのだろうか。
どれだけ変わったとしても私は私なんだろう。ただ、表現方法が変わり、心の持ち方が変わり、私自身は色を変えながら生きていく。
時に信念のようなものを語りながらも、不安で割れそうな心をどうにかして維持しなければならない時もある。
それはもう不安定で、予測不可能だ。
そしてこの哀しくも美しい世界の中で、どろどろしたものから息を呑むほどの絶景まで、好奇心が赴くままに全力で臨む。これからも。
これが「私」なんだなあ。
でも、それでいいじゃないか。
コスタリカの自然の中で、そういう複雑でエゴな自分を許すことができた。
偽ることなく、真っ直ぐに、生きていくことが、これからも叶うだろうか。
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こんなふうに自己意識について伸び伸びと書けるのは、やっぱり一緒に旅や勉強をした仲間が同じように思考する人々だったからだと思う。
そしてこれからもそれぞれの方法で「自分」を表現し、その才能をフルに活かして世界で活躍するであろう人々が、友達として存在するからだと思う。
ああ、卒業したんだな。
卒業式から一週間経ってやっと、私はその事実を消化できたらしい。
コスタリカでの出逢いに感謝。
そして、このブログをいつも読んでくれているあなたへ、文章を書けるのは、読んでくださるあなたのおかげです。
心からのありがとうを送ります。