Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

A HOME IS A PERSON

とある友人は電話で、Where is your home? と尋ねた。
自分の「家」のことかと思って、Osakaだと言った。でも、その人は続けた。

Home is not a house. Some say home is feeling, and I say a home is a person.
Homeは家とは違うよ。とある人はHomeを感情だと言う。私はHomeは人だと思うね。

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Bullet Trip

年の瀬。クリスマスの装飾がなされた街。
コスタリカに来てたった4ヶ月。それでも暮らしに馴染んできているのか、随分生活にもいいリズムができていた。

けれど、唐突に決意を迫られた知らない国への旅行。

海外旅行なんて、数年前まで心が弾んでたまらなく楽しみになるような一大イベントなのに、
「重たいスーツケースとリュックを抱えて長いフライトに耐えなきゃならんのか。」
なんて心もちで、とっても悲観的だった。

ワクワクも心躍る観光地検索もせず、淡々と航空券を購入して、友人や家族にメッセージを送って、パリに飛んだ。

心は静かだった。

なぜこんなにも淡々としていたかには理由がある。

数ヶ月前から、彼にコスタリカに来てもらう計画をしていた。

大使館のサイトをチェックして、コロナ禍ならではの必要事項もちゃんと確認した。
時間とお金をかけて準備をして長いフライトで来てくれた。

でも、私が待っているたった数メートル先で、入国審査の足止めをくらったと電話がかかってきた。
日本やハンガリー大使館に電話をかけまくったが打つ手はなく、
私たちは一瞥もできぬまま、彼はヨーロッパに強制送還されてしまったのだ。
*彼はカメルーン人でハンガリー在住の学生。

ヨーロッパの居住証明を持っているにもかかわらず
ビザがないだの、居住証明書(ハンガリー語)の正式翻訳がないだのを理由に、
本当にひどい扱いを受けたという。

ルールはルールかもしれない。けれど秒で送還を決めつけて、罪人のように扱うというのは、いわゆる差別である。
*コスタリカの空港は人種差別が顕著なのだと、後から他の学生に聞いた。

彼からの電話で、パリに送還されると聞いた。

空港でほろほろ涙が出てくる。これが悲しいということか。
それとも怒りだったのか。
きっと、誰に対して怒ればいいのかもわからない自分に一番腹を立てていた。

人生ハードモード

そんな出来事を経て私たちはパリで再会することを決めた。

無気力でぼんやりしながらも、「やっぱりどうしても今会わなきゃいけないよね」と話をして、土壇場でヨーロッパ行きの航空券を探した。年末年始なので馬鹿みたいに高い。
それでも、直感的に、今会っておかないとダメだと、思い切ってパリ行きの券を買った。

コロナになって以来初めての邂逅。
パートナーと2年会えなかったことなど人生で初めての経験である。

こんなご時世だからPCRやワクチン証明はもちろん必要。
決めた2日後に発ったので準備不足が心配だったけれど、特に何も問われずに入国することができた。

日本のパスポートを持っていることを、この時ほど意識したことはない。
彼が、もし日本人だったら、きっと今頃一緒にコスタリカにいたのになあ。

ーーなんてことを考えたくなくても、やっぱり脳裏によぎってしまう。

Charles de Gaulle 空港の駅で彼を待ちながら、冬の冷たい空気を感じた。
空はグレーで、街はぼんやりとしている。コスタリカとは似ても似つかない冬の景色だ。

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彼を一目見たとき、凍りついていた心が動いた。
不思議な感覚だった。

「嬉しいのに悲しい。」とでも言ったらいいのかな。

目の前に彼がいて、でもなんだか疲れているように見えた。

11時間のフランスーコスタリカの旅の後、空港で罪人みたいに扱われて、トンボ返りで再び11時間のフライトを体験して、お金も時間も失った彼。
「ごめんね。」「ありがとう。」…なんて言葉をかければいいのだろう?

やっと会えて、それはとても幸せなことで、それが遠距離2年ぶりで、どうしようもなく寂しい景色の中で、どうしようもなく寒かったけれど、
心が動いた。言葉は、出てこなかった。

しかし互いに学生で、彼はコスタリカの旅で貯金もほとんど残っていない中でヨーロッパで過ごすのは至難の業だった。
というか、私が負担するしか方法がなかった。

つまりは、デートもクソもない滞在である。

でも、彼を責めるわけにもいかないし、ここは寛容に行こう…そう思っても、もやもやは消えない。

グレーの空、葉っぱのない木々、容赦ない冬の雨風。
そこには、素直に楽しめない自分がいた。

ちょっぴりのココアに5ユーロ払ったり、冷め切ったサンドイッチ2つで10ユーロ払ったり、
そういう些細な不満足感みたいなものが積み重なって、心がしわくちゃになった。
一番嫌だったのは、そんなちっちゃい器の自分自身だったんだと思う。

Home is a Person

そんな冷たくて寂しい景色のヨーロッパで、とっても不機嫌な私の隣でも、彼は楽観的だった。
本当にネジが一本抜けてんじゃないかってくらいポジティブなのだ。

きっとそんな陽気な彼だから、
辛いことをたくさん乗り越えてきて、それも全部糧にして、
とっても人に優しく寛容でいられるんだろうな。

しけた天気で、寒くて、暖房の効きづらい宿にいても、
自信に満ちた顔で彼は言う。

Je crois que nous pouvons être heureux sûrement.
絶対に一緒に幸せになれるよ。

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彼と歩くのを夢見たパリ。朝焼けのセーヌ川。エッフェル塔と凱旋門。オルセー美術館。
たった1日、凍えるようなパリで、時差ぼけで疲労困憊だったけれど、やはりあれは美しい1日だった。

彼の親戚がパリに住んでいたので、到着日にはクリスマスパーティーにお呼ばれし、
大晦日には一緒に年越しをすることができた。
私を「家族」として、カメルーン料理で出迎えてくれて、とても温かかった。

年明けにハンガリーに移動し、ブダペストの街を散策した。
街の建築物が美しく、繊細で、歩くだけでてロマンチックな気分になった。

しわくちゃの心に言い聞かせる。
私は、ここに来たことを後悔などしちゃいない。

私はHomeに帰ってきたんだ。
彼は、やっぱりどれほど離れようが、どこの国にいようが、
私のHomeなんだ。

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