Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

ろまんす

それはもう濃い三ヶ月間だった。
大袈裟でもなんでもなく、文字通り、現実離れしていて、空想的で白昼夢みたいなーーロマンス。

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パラドックス。


コスタリカの強烈な緑と、息を呑むような夕陽。広々とした空と、ハチドリの声。

ゆったりとしたコロンの街の時の流れに反して、
大学の勉強は飛ぶように前進するし、スクールバスは1分たりとも遅刻しない。

学校で生物多様性と人間の愚かな環境破壊行為を勉強しながら、悲しいくらい美しい自然に癒される矛盾。
世界中の学生がそれぞれの意見と倫理を抱えてやってきて、信じられないスケールでディスカッションが行われる。

あれやこれやと並び立てる自分の言葉が、時に立派に思えたり、どうしようもなく馬鹿らしく感じたりする。
等身大の自分に気づいた時に、開き直って笑ってみたり、悔しくなって泣きそうになったりする。

混沌。それは平和を学びながら感じる大きなパラドックス。

内面外面ともごちゃごちゃと散らかった世界で、私は佇み、時に旅をした。
愛おしいような憎たらしいようなこの世界を、新しい形で理解しようと試みる。私たちはそんなふうに学んでいる。

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Just feel peace in chaos.


ちょっと落ち込んだ友達を元気づけようと、言葉を探していた。
思考で頭がいっぱいの時は、ヘンテコな台詞が浮かぶのだけれど、

そんな言葉を好きになって、繰り返し繰り返し唱えてくれるようになったから、
それは私の合言葉にもなった。

「混沌の中でだた平和を感じて。」

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いろんな声が聞こえてきて、いろんな善悪の物差しがあって、正解のない大きなテーマがそこらじゅうに転がっているせいで、
目も耳も塞ぎたくなる。
時々、無意識の中に差別や劣等感を感じる。聞きたくもないような言葉が胸に突き刺さることもある。

大学院の勉強とは、問い続け、自ら学び続けることなのだと最近気づいた。答えのない中で問い続けることは、時にとても辛いことだ。


疲れて頭の中がごちゃごちゃ。
そんな時は、コスタリカにいることを思い出す。


教室の外に綺麗な紫の花が咲いていること。
ハチドリや蝶が風に舞っていること。
草原の向こうに山々がそびえ立ち、風車が回っていること。
境目のない色のグラデーションがその日限りの夕日を映し出すこと。

大学のBamboo Room(竹でできた窓のない教室)で、ヨガをしながら、風になびいている木々の音を聞きながら、自分の呼吸の流れを感じていたときに、Peace in chaosを感じることができているような気がした。

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この三ヶ月、たくさんのことを学んだ。
本や理論からだけではなくて、旅からも多くのことを知った。
授業で訪れた有機農家や珈琲農家、畜産家でたくさんの話を聞いた。
食べるものから使うものまで、全てが農業と環境問題につながっているせいで、
未だに巨大な問いばかりを投げかけて、ナンセンスな意見を吐きだしては自分の思考の浅さを呪う。

センチメンタルジャーニー

ほとんど毎週末、どこかへ出かけた。
いつも一緒だった旅仲間は、来週この国を発ってしまう。

「私たちには三ヶ月しかないから、毎週旅行するんだ」
出会った当時、キルギス人のその友達はそう言って、ノートに書かれた旅先リストを見せてくれた。

「バスより車の方が融通きくから、毎週末車を借りよう。どこでもいいから旅行しよう」
ノープラン万歳人間のウズベキスタン人の友達は、免許を持ってることをいいことに全ての旅行をレンタカーで計画した。
計画するのはキルギス人の友達か私がメインだったのだけど。

「私はあんまり体力がある方じゃないけど、素敵なところに行けるならいってみたいな」
強い抱擁とフランス語が大好きなカザフスタン人の友達と、いろいろな話をした。正直でまっすぐな意見を聞くのが心地よかった。

出逢った当時に彼らが別の奨学金プログラムの学生で、12月にはコスタリカを離れることを知った。
その時は12月なんてまだまだだと思っていたのに、もう年末なんだ。

街は11月からすでにクリスマスの電飾で彩られ、家もお店もクリスマスツリーが飾られている。
コスタリカの人々にとって最大のお祝いなのだと感じさせる。また、半袖でクリスマスを過ごすことになりそうである。

「さよならじゃない。だってまた会えるじゃないか。寂しいことなんてないよ。」

そう友達は言うけれど、これまでシェアしてきた時間の濃さと、これから離れると言う事実を受け止めようとした時に
甘酸っぱいような、心をぎゅっと締め付けるような感情が湧き出てくるんだよ。

きっとチャットもするし電話も時々かけるかもしれない。SNSの写真なんかが友達の様子をオンタイムに教えてくれるのかもしれない。

それでも、こんなに寂しいことはない。
だって、今日までこんなに傍にあった「ろまんす」が遠くに行ってしまうような気がするんだから。

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