Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

【日記】つくること、食べること、生きること。

三年前に、カメルーンの地で赤土の大地を踏みしめた時に
「あ、生きてるな」って思えたあの感覚は、ずっと身体に記憶されていて、
それからは、帰国してからもずっと、「生きてる実感」みたいなものを抱きたいがために
度々知らない場所を訪れたり、知らない世界の話を聞いたりを積極的に行ってきた。

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カメルーンのマルシェ

けどね、「食べること」こそが「生きること」に直結しているということが
先週の農業体験で自分の足で田んぼを歩いて、除草したり収穫したり袋詰めして売ってみたりするまで
ちゃんとわかっていなかったような気がする。

カメルーンにいくまで、
根っこから生えているセロリやバジル、あるいはパイナップルやスイカをちゃんとみたことがなかった。
それはパッケージングされたスーパーの食材ばかりを消費してきた環境のせいでもあるかもしれないけど
それほど食べるものに関して興味を持てなかったという原因もあるのかなと思う。

そんな私が、食べることの素晴らしさと大切さに気づいた理由と、
食べるものを作る人たちのとっても素敵でかっこいいこめ農家さんたちのお話を書きたい。

私が体験させていただいたコメ農家さんHP>>>
www.kobe-mai.com

1. つくること

作る人の顔を知る

100円の外国産のブロッコリーと、150円の国産のブロッコリーだったら
どっちを買いますか?

私だったら、安い方を買います。

味とかもそんなに変わらない(と思ってた)し、フードマイレージ(「食料の輸送距離 」という意味であり、食料の輸送量と輸送距離を定量的に把握することを目的とした指標ないし考え方)とか環境問題とか日本の経済がどうのって考える以前に、自分のお金の「節約」を考えちゃうから。

「選んでいるように見えて、私たちは選ばされているんです」
(小池代表)

私の親も、値段を見て「安いもの」を買う習慣があったし、「コツコツ貯金することが大切」みたいに教えられてきたし、
ちっちゃい時観ていた『クレヨンしんちゃん』では、「特売の肉」とか「セール」って言葉に夢を抱く主婦像
が描かれていたってのもあったからなのか、食材なんかは特に、値段安いもの(量とかもみてお得なもの)を選びがちなのです。

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「安い」は「正義」みたいなのが刷り込まれてた


でも、もし150円のブロッコリーを作っている人が、私の知り合いだったら、
多分多少高くてもそっちを買うんじゃないかなと思うんです。

どうやって育ててるのかとか、その人がどんな思いで野菜作ってるのかとか知ってたら
そこに50円高く払う価値って生まれてくると思うから。しかもそれが知り合いへの応援にも繋がるから。

そういうことを教えてくれたのが、小池農園での体験でした。

「もっともっと、生産者と消費者が近づける、あるいは生産者同士が物々交換みたいなことができる社会になればなあと思うんです」
(小池代表)

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学園都市で月一回行われるマルシェ。小池農園の米や農家さんの野菜が並ぶ

年中何かしらすることがあるんです

「農業」というと、私はこれまで、家族経営がほとんどで、お年寄りが頑張って手作業で延々と稲植えたり草抜いたりするもんだと思っていた。
種まきと収穫と販売で成り立っているんだろうな。経営とか大変なんだろうな。と思っていた。

実際私が体験をさせてもらった一週間というのは、「種植え」でも「収穫」の時期でもなく、「メンテナンス」が中心だった。
米農家では、一番忙しいのが田植え(春)と稲刈り(秋)であり、そのほかの季節は他の野菜を作ったり、苗床を片付けたり、一つ一つの田んぼを回って水量を確認したり、雑草を駆除したりする作業が中心となる。

農作業は肉体労働。

農業の何が大変かって、これが一番の理由だと思う。

草刈り、除草剤撒き、空き地の雑草処理、精米機の掃除など--夏の炎天下では特にこたえる作業が多い。

例えば、除草剤は薬品を混ぜた水タンクを背中に背負って、ホースの先からそれを雑草に撒くという作業。
大規模農家の小池農園が所有する(または委託されている)畑は
甲子園球場約10個分!

まとまって田んぼがあるのではなく、山の上に3枚、あの村に1枚、この交差点裏に1枚・・・と細かく分かれている。
それらを的確に記憶した小池農園の社員さんは、軽トラで移動する。

隣人の田んぼに除草剤が飛ばないように入念に且つ丁寧に撒く作業は、単純に見えて集中力がいる。
畔のない場所は長靴で田んぼに入って除草。稲を踏まないようにまっすぐ歩こうとしても、泥に足を取られて何度もこけそうになった。

太陽がじりじりと照り付けて、何リットル水を飲んでも足りないくらいである。

でも案外、重いものは機械を使って運ぶし、
土を耕すのも機械だし、田植え機で稲を植えるから昔みたいに腰を曲げて一つ一つすることもない。
といった事実を見せられると、ステレオタイプ抱いてたなあ、と思った。

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15〜20リットルを担いだ除草作業は大変


また、10〜30キロの米袋を配達のためにどんどん車に積み込むのだけど、
普段使わない「ものを上に持ち上げる筋肉」が悲鳴を上げる。

「肩の上に(赤ちゃんみたいに?)乗せてあげるのが楽だよ〜」と教えてくれるのだけど、
私の腕ではそもそも肩まで米袋がが持ち上げられない。運動不足だな。

真夏になる南瓜やオクラ、パプリカやズッキーニやマクワウリなどを収穫して
俗にオリコンと呼ばれる「折りたたみ式コンテナ」に詰めてまたそれも
車に乗っけていく。

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オリコンの中の収穫物

毎年、「0」になるのが米づくり


そんな年中忙しい米農家(と言っても大豆や小麦、野菜も栽培しているのだけど)、
お金のやりくりも大変だそう。

「お金儲け」をする農業じゃなくて、もっと品質とか生産者の顔とかを
大切にできる農家になりたいって思ってる
(小池農園社員)

私が、小池農園で惹かれたのが、このコンセプト。

「食べる人のことを想ってコメを育てたい」「地域(神戸)で採れた旬を感じて欲しい」
そんな気持ちで作っているから、それはもう心がこもっているし、料理を作る人にとって手の届く価格で
「新鮮」が手に入るような商売をされているから、なんだか嬉しいし、作っているものにも自然に興味が湧いて、生産者との会話が生まれる。

農業では、消費者とのコミュニケーションも大きな仕事。
作る側の想いとか苦労を知ることは、食べ物をいただいている私たちにとってとても大切なことだと思う。

配達についていかせてもらったときに、代表が一つ一つお米を届けるときに世間話をしたり、「最近どうですか?」と声をかけているのをみた。
知っている人が作っているお米、応援したい人が届けてくれたお米。そういう気持ちって、お米が美味しく感じる一つの大きな理由だと思う。

「稲作っていうのは、毎年0になるんです。土耕して、苗床で稲育てて、田植えして、育つ間もたくさんメンテナンスして、稲刈りして、精米して、袋に詰めて、それを配達・販売して消費者の手に渡って食べられるまでの過程に大体2年くらいかかる。そのストーリーを知った上で、買うお米を選んで、そのストーリーを知った上で、米を炊いて、食べて欲しいと思う。」
(小池代表)

つくるひとの、つくる想い。
書いても書ききれないな。たった一週間で何がわかるって思われるかもしれないけど、
この一週間で聞こえてきた「つくるひとたちの声」から、十分すぎるほどの新しい視点を学べたと思ってる。


長くなったので「食べること」「生きること」は次回!

ではまた来週!!