お久しぶりです。ぴょんです。
ブログ2回更新したあと1週間なにもしなかったから、
「三日坊主にもほどがあるでしょ」と思われていた皆様
すみません。でも、ブログ続けることはあきらめません。(笑)
やっと、文章を書けるコンディションになりました。
さて~今回は端的にいきたいですが、中身の詰まった内容にしたい。
生きる環境について考える。
みなさん、マズローのピラミッド知ってますよね?
私は「○○人はさ、~だよね」「女性/男性は~であるべきだよね」みたいな枠組みにとらわれた考え方が嫌いです。
でも、きっと私もどこかしら無意識にそうしてしまっている節があると思う。特に「カメルーン人」に対してのイメージが勝手に頭の中に形成されて知らない間にその固定観念の色眼鏡を通して人を見ている気がする。
特にネガティブなイメージ;うそつき、謝らない、約束守らない、勤勉でない等
に関連する出来事に直面したら、「あーほんま、カメルーン!」って叫びたくなってしまうことがある。
また、カメルーン人は、(海外で特に)詐欺師や不法入国が多いので、アフリカの限られた国以外ではほとんどビザが必要。
そして審査がまた非常に厳しく、その国にコネクションがないとビザもなかなかおりない(それだけが理由じゃないかもしれないけど)
ゆえにカメルーン人に対する漠然とした負のイメージって、どことなく存在しているように感じました。
でも、これって、決してカメルーン人のせいじゃないと思ったんです。
カメルーンの子どもたちのきらっきらの瞳。透明な心(子どもはきっと世界中でそうなのかもしれないけど)。
最初から嘘つきなんかじゃないでしょ?
きっと、どこかに うそをつかなきゃいけない理由が、あるんでしょ。
戦後の日本がどうだったか、私は見たことがないからわからない。
でもきっとお金も食べ物も今よりずっとない時代だったんじゃないだろうか。
生きていくためには、モラルなんて考える以前に、食べなければいけなかった。
畑に野菜が生っていたら、それが他人の畑であろうと盗らないといけないほど飢えていた。
(『火垂るの墓』の描写から参照)
それを国民性と言われてしまったら、どうしたらいいのでしょうか?
私が言いたいのは、
全ての原因は「貧しさ」だということ。
国民性のせいでも、性別のせいでもない。環境のせいなのだということ。
(ハンス・ロスリング著『ファクトフルネス』参照)
優等生君の家は貧しかった。
一緒に暮らしてる彼が、彼の学生時代の友人について話してくれました。
オリビエ君というその人は、おうちがとても貧しくて、毎日うちに帰っても食べるものが何もなかったんだって。
貧しさによる苦労談なのかと苦い顔をして聞いていたら、全く違って楽しい話だった。
「彼、高校生の時ずっと学年一位をキープしてる超優等生だったんだよ。
(自分も5位以内にいつも入っていたから)彼と仲良くなってからずっと順位を競争してたんだ。…確かに食べ物がないとお腹がすくのは普通だし、勉強にも集中できないよね。僕がもらったお小遣いを彼に分けたりしたこともあったけれどお小遣いで昼食を買って分けたり、お家に誘って一緒にご飯を食べたりもしたけど、、別にかわいそうとか思ったことないな。そういうおうちなんだなあ、大変だね、みたいな感じ?でも彼はそんなに大変そうじゃなかったなあ」
彼はそれはもうポジティブだったのだそうだ。
楽観的な彼が言うのだからよっぽどなんだろう。
「うちにはお金がない」ということが
「自分は貧しい」ということと同義しないのである。
つまり、彼は、高校卒業前から自分のしたいことを分かっていた。
「自分はあの学校に進んで、あれを勉強して、大人になったらこの仕事に就くんだ。
Mon argent est quelque part dans le futur, il m'attend
――オレのお金は、未来のどっかでオレを待ってるのさ。」
σ(゚∀゚ )オレ
彼はオリビエ君のそんな言葉を聞いて、
いつもおかしかったんだといった。
いや、私そんなこと言ってる人いたらそんけーするわ。かっこええやん。
そんなオリビエ君は、親戚に学費を負担してもらうことに成功し、
見事三度目の正直で合格した大学でエンジニアの勉強をして、
専門職について安定した収入を得ているとのこと!
オリビエ君に似て、
彼もいつも底抜けに明るく、メンタルが強靭で私みたいにすぐに凹まないことに
時々半ば呆れながら感心することが良くある。
私が生活の工面とかでいっぱい心配事を羅列すると、
「Ça va aller――大丈夫だから(なんとかなるから)」とだけ返事がとんでる日々。
まあ、将来の貯金や職の安定も大切だけど、目的をもって生きることで人って豊かになるもんな。
お金だけじゃなくって、人生で大事なことっていっぱいあるからな。
彼が大丈夫、って言う意味がなんだかようやく納得できたような、
ちょっと自分の固定観念で曇った色眼鏡をふき取ってくれたような気がした。
家の手伝いで、学校に行けなかった。
オリビエ君の話を聞いて、思い出した。
とある青年がある日、ヤウンデで道案内をしてくれたこと。
タクシーが全然つかまらなくて、日も暮れてきて、ああどうしよう!となっていた時に
キャンディーやティッシュなどを積んでいる大きなお盆を頭に乗せている青年A君が声をかけてきた。
「お困りですかー?中国人…ではなさそう、日本人ですか?」
正直めっちゃ警戒した。
なんなのこんな時に…!早くタクシー見つけなくちゃ。
もちろん、警戒するのは海外駐在においては必要不可欠なこと。
夜は出歩くのを控えるべきだし、見知らぬ人に声をかけられても応えちゃダメ(←日本でも)!
でもね、なんか、彼の言葉と態度と雰囲気に悪意を感じられなかった。
(単純に「チャイナ!」って大声で叫んでくる分別のない人と違って礼儀正しかったからなのかも)
お金を取ってやろうなどとか、ちょっと脅して物を盗ってやろう…みたいな心がどこにも隠されておらず、好奇心の溢れる純粋な瞳で、「大丈夫ですか?どこへ向かうのですか?」と聞いてきたのである。(そういうの直観で感じ取るのが得意と最近気づいた)
こちらも困っていたのでタクシーを探しているんです、と答えると、タクシーならここからちょっと歩いたところの方がつかまりやすいかも。そう言って何の迷いもなく道案内を始めてくれたA君。
尚も警戒しながら、私は彼にたずねた。
「まだ若そうだけど、学校は行っているの?」
「ううん、家が貧しくて両親のためにこうしてお金を稼いでるんだ。小学校を卒業してから、学校には行っていないなあ。親戚にお金持ちな叔父がいるんだけど、自分の家族を養うのに必死で、あんまり援助はしてもらえないんだ…。ちょっと生活がよくなったら、また学校に通いたいと思ってるよ。」
優しい微笑みを浮かべながら、そう言う彼は、16歳だった。
15分くらい彼と歩いて、ようやく見つかったタクシーに彼が値段交渉する。
なぜか私にタクシー代まで渡そうとするので、丁重に断り、お礼にティッシュを購入し、ありがとう!と言って別れた。
ありがとう、優しいA君。いつか、学校に行けたらいいね。
固定観念をぬぐい取ると世界が広がって、「貧困」が見つかった
私たちは「貧困」というたいそうな言葉で、「開発途上国」と呼ばれる国々の中で、
2020年になった今もマズローのピラミッドの一番下に取り残されている人々を統計で語る。
でも、一人一人のストーリーを知れば、どこまでが「貧困」なんだろう、と考えてしまう。
「貧困」は世界に蔓延って人々の可能性を奪ってしまう悪い奴だけど、
それを創ったのも、「貧困」を定義した 世界。
私はもっと知りたいと思った。
人々が生きる環境が、人々の行動をどこまで決めるんだろう?
人口が増え続け、地球温暖化はとまらない。
気候変動によって土地を追われる人々や、干ばつや冷害で食べ物が手に入らない人々が
これからきっと増えていくと思う。
たくさんの人がマズローのピラミッドの一番下で苦しまずに生きられる世界が
実現したらいいなあ。すこしずつ、近づいていけばいいな。
この分野についてはあまりにも無知だな、と書いていて思った。
だから、思考をやめないで、これからも学び続けよう。
そしてちょっとでも世界をよくするお手伝いができる人材になって、
固定観念をぬぐい取り続けながら、もっともっと広い世界に暮らしたい。