Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

遠くて近い、アフリカの日々

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」


嗅いだことのない、不思議なにおいだった。


Yaoundé Nshimalen International Airport (ヤウンデ・ンシマレン国際空港)という不可思議な単語が羅列された空港名を見て、本当に遠いところに来てしまったんだなと、飛行機の着地とともに乗客が拍手喝采するのを聞きながら、高揚したような、それでいて母国が恋しいような、複雑な気持ちだった。

土のような、それでいて海のようなにおいもするやたらと湿度の高い空港。
降り立つ人々のほとんどはもちろんアフリカ人。

私はそれまでこんなにたくさんのアフリカ人を直接見たことがなかった。瞳が大きくて、髪がちりちりの巻毛で、華やかな柄の布で仕立てられたドレスやシャツをまとっている人が多かった。手荷物の制限をゆうに超えているであろう鞄を引きずるマダムの腕っ節が強そうだったこと、メガネをしているとても賢そうなアフリカ人がいて、その人が本を持つ手がすごく大きかったことを覚えている。


カメルーン共和国は、中央アフリカ地域にある国。サッカー好きな人ならきっと一度は聞いたことのある国名だと思う。
エムボマとエトー、くらいしか私にはわからないけど、「チーム・ライオン」と謳われるとても強力なチームなんだとか。

何にもわからない。でも、来てしまったんだ。
薄暗くて不安な気持ちがぶわっと溢れてきそうだったから、一緒に来た同期の日本人ボランティアの背中を追うことに集中した。

大学卒業まで日本でしか暮らしたことがなくて、でも海外に憧れて、就職活動もろくにせずにダメもとで応募したJICA海外協力隊に合格して決まった派遣先が、アフリカだったことには本当に仰天した。

「取り残された大陸」「エボラ」「マラリア」「紛争」「貧困」「テロ」なんて言葉が脳裏にチラつく。実際に見たことがなかったが故に、メディアの効果は大きかったと思うけれど、きっと今でも多くの日本人がネガティブなイメージを抱いていると思う。

ネットでもあまりいい情報が見当たらなくて「過酷」「不衛生」「治安悪い」なんていうワードばかりが見つかるので、出発前はどうしたものかと悩んだ。

「行きたいから応募したんやろ?じゃあ、行ってきいな」

いつも、母は背中を押してくれる。
自分でやろうとしたことを否定しないでいてくれたから、踏み切れたんだと思う。

(しかも、母は私に会いにカメルーンに来た。)

なんで協力隊?どんな経緯で?気になった方はこちらもぜひ。
pyomn310.hatenablog.com


長い列を並んで、入国審査と荷物引き取りを終えてついに外へ出る。もう23時をまわっているということだった。
日本の夏の夜に時折吹くような湿った風の向こうに、出口が見える。
おびただしい数の人々が誰かしらを待っているのか、出口に張られた柵から半分体をのりだして「私たち」を見ている、いや、見られている。そう感じた。

肌の色も、話す言葉も、全然違うから目立つんじゃなかろうか。怖いなあ。不安だなあ。フランス語で何か言っているけど、私たちに言っているのか、誰か違う人に言っているのか、わからない。ここに自分が立っていることが、ずいぶん滑稽に思えてくる。

夜だから景色らしい景色も見えない。唯一目にしたのは煌々とあたりを照らす街灯だけ。

あとは大荷物を抱える人々でごった返す空港で迷子にだけはならないように、日本人のコーディネーターの方と同期のボランティアが向かう方へくっついて歩いていく。言われるがまま車に乗り込み、暗い道を走る。ボランティア用のドミトリーに着いたのは深夜0時をまわった頃だった。高揚感も不安も通り越して、どっと湧き出た疲れとともに、人生で初めて蚊帳の張られたベットで眠った。

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蚊帳はこんな感じ


目の前に広がるのは、赤土とカラフルな布


昔書いたブログを振り返ると、当時感じた景色をこんなふうに書いていた。

飛び交うフランス語

迫力のあるカメルーン人の瞳

ぼこぼこなタクシーの車体

三人乗りのバイク


目に飛び込む非日常的な光景

美しく、不可思議で、興奮気味な夜だった。


今朝、にわとりの鳴く声と人々の元気な話し声で目が覚めた。

赤土の大地と青空が広がっている。きらきらした目の男の子が私を見ている。

がたがたのタクシーが横ぎり、牛や鶏がごみをあさっている。

灼熱の太陽に肌が突き刺されるような熱を帯びながら

影に入ると優しい風が吹く――混沌とはこういうことなのか。

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「混沌」、最初に思ったのはきっとこれだ。

カメルーンの首都ヤウンデは、中心地こそ舗装はされているけれど、少し裏道に入れば土が剥き出しの道が続いている。
その土がとても赤かったことが、「アフリカに来たんだ」ということを実感させる大きなきっかけになった。

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ヤウンデの赤土

到着の翌日に車で市街地を周ったときに目にした、とても華やかでカラフルな布は、飛行機の乗客が着ていたそれと似ていた。
アフリカにはこうした柄の布がたくさんあって、仕立て屋で自分好みの服を仕立ててもらうのが一般的なのだそうだ。

生活に慣れてきて、言葉もなんとかなるようになってきてからやっと、布を買って仕立て屋にお願いできるようになった。
大振りの柄と目を惹く色とりどりの服は、夏国のカメルーンにピッタリで、年中服を選ぶのが楽しかった。

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World Teacher's Day(世界先生の日)は、地域の先生が同じ布の服を着て集まる


近くて遠い、アフリカの日々

初めてカメルーンに降り立ち、好奇の目を光らせながらカメラをあちこちに向けていたあの頃の自分が懐かしい。

自分のその目がたくさんのバイアスで染まっていたことも、些細なことで悩み苦しみながら悪態をついたことも、今では笑い飛ばせるけど、やっぱりちょっぴり恥ずかしい

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自分が「選択」した生き方を実践できていることがどれだけ有難いことなのか、気づくことにどのくらい時間を要しただろう?

「外国人」としてカメルーンに生きることを決め、ボランティアとして仕事をしたことにどれほどの意味があったのか、滞在中ずっと問い続けていた。
それはきっと今日からの自分の道の選び方で変わってくるんだと思う。

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カメルーンの友人が「現状に満足してるよ」「大変なこともあるけどそれが人生」とたくましく生きていようとも、やっぱり世界は歪んでいるんだ

大学院で学びながらも、答えはまだ全然見つからない。他の人々が残してきた考えを理解してそこから思考を広げていくこと、現状起こっている事態に沿って考えをまとめて話せるようになるように、日々一歩ずつ前進することが今の私の精一杯。


世界の不平等がなくならないのは何故なのか、開発って本当の意味で一体なんなのか。
「途上国」「グローバル・サウス」「貧困」というくくりで今でも多くの人が苦しんでいることについて真剣に考え始めたのは、ここ最近だ。

当時私がカメルーンでボランティアをする選択をしたのも自分のためだった。
そんな自分本位な私でも、やっぱりこれまで出会った友達とかホストファミリーに、「あの日々があったから、ここまで来れたんだよ。ありがとう。」と何かしら恩返しできる日が来たらいいなと、思っている。

昔から考えていることは同じだけど、成長できているかな。

私たちは「貧困」というたいそうな言葉で、「開発途上国」と呼ばれる国々の中で、
2020年になった今もマズローのピラミッドの一番下に取り残されている人々を統計で語る。

でも、一人一人のストーリーを知れば、どこまでが「貧困」なんだろう、と考えてしまう。
「貧困」は世界に蔓延って人々の可能性を奪ってしまう悪い奴だけど、
それを創ったのも、「貧困」を定義した 世界。

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忙しなく時が経って、合計3年くらい過ごしたカメルーンから帰国してもう1年半以上が経過した。
パンデミックが来て、「また会いに行きます!」と気軽に言いづらくなった今だけど、それぞれの場所で、次会う日を楽しみにしながら、時々メッセージでも交換しよう。

遠い中にもそんな「近さ」があるから、私はこれからも、頑張れます。

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