Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

距離が狂わせたものと、与えてくれたもの。

「久々に笑顔を見た。」

彼はそう言って、パソコン越しに少し嬉しそうだった。
なんだかやっと、長い長いすれ違いを終えて、心を通わせることができたなあと思う瞬間だった。

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歪んだコミュニケーション

年末に突然決まったヨーロッパ旅行からはや数ヶ月が経った。
私はコスタリカ、彼はハンガリーで学生をしている。

(ヨーロッパ旅行についてはこちら)
pyomn310.hatenablog.com

将来のこと、それぞれの夢のこと、それぞれの目下の生活のことをどの様にして「二人の」ベストな形にするかどうかを延々と議論し続け、思考し続け、悩んできた。結論は出ないまま、現状の不満でいっぱいになった空気に、二人とも押しつぶされそうだった。

コスタリカでの彼の入国拒否と強制送還、そしてヨーロッパの旅行での険悪なムードによって、ずりずりと重い気持ちを引きずったままここまできてしまったせいで、あまり連絡も取らず、近況を話し合うことがないまま時間が経った。

もうこのままおしまいかなあ。
なんて思うこと何度となくもあった。

でも、終わらせたくないと思う自分がいた。

悶々と悩んでいるそんな時にふと、大学へ行くバスの席で隣になった友達に、「遠距離ってむずかしいなあ」なんて言ってびっくりさせたのだけど、彼女はとても的確なアドバイスをくれた。

  • 自分にとってパートナーがどんなポジションにいるのか考えるべきこと。
  • 自分と相手にとって一緒になる時期はいつなのかをしっかり話し合うこと。
  • 過去のことを持ち出して言い合いをするのではなく、これからどうして行きたいのかを話すこと。

物語を語るように、ゆっくりと、順をおって、優しく言葉をくれた。
大学までの20分の道のりが、驚くほど自分の心の曇りを取り除いて、クリアにしてくれた。
ほんとありがとう。

拭えない不平等

アフリカ人である彼が安定した職に就き、日本人の感覚で旅行したり、不自由ない生活を送るためには、かなりの忍耐力と時間が必要になる。
もし彼が日本に来ることを選択していれば、日本語を学ぶことは必須だっただろう。日本語ができても、日本人と同じくらいの収入の職につくには何年もかかるかもしれない。

彼の場合はヨーロッパへの移住を決意したが、フランス語を話す彼にとって第一希望だったフランスの大学には入学を認められず、ハンガリーの大学に通うことになった。その理由は主に彼の「国籍」と住んでいる国のせいだった。

貧困や汚職によって可能性を摘まれた若者たちが、アフリカからヨーロッパ各国に違法入国してくるせいで、どんどんビザの規制が厳しくなり、「国籍」がその人のステータスを決めつけてしまうのだ。
彼がコスタリカの入国を拒否されたのも、そういったパスポートが意味する彼の社会的「ステータス」のせいだと言えるだろう。

彼が私をパートナーとして選んだことで、生活していく土地をどこにするかが問われた。
私がカメルーン人だったら?彼が日本人だったら?そういうことが嫌でも頭によぎる。

先進国と途上国の差。国籍の違いによる社会の扱いの差。そういうものを嫌でも感じ続けなければならないのだった。

いまだに彼が私のことを「恵まれた」「不自由ない環境で育った」「先進国の」人間だという想いを拭えないでいるように、
私自身も彼に対して無意識的にそのような壁を作り上げているのかもしれないと思うと、途方に暮れるのだった。

抱きしめることもできない

文化も育った環境も違う私たちが一緒にいれた理由は、一緒に暮らして時間を共有したひとときだと思う。
あの時に私たちは何もかも理解して分かり合った気になっていたんだ。

カメルーンで暮らしたあの一年間に、生活感やお互いの考え方をじっくり観察し合うことができた。
喧嘩しても、言葉に誤解があっても、近くにいて、その場で触れることができて、温もりがあった。

でもそのあとパンデミックが来て二年間会うことができなかったせいで(しかもお互いハンガリーとコスタリカに移住して)、考え方や生き方にちょっとした変化が訪れたことに気付かぬままそれぞれの環境で過ごしてきた。

勘違いにも気付かず、お互いに無数の誤解を抱きながら、ここまできてしまった。

それを解きほぐす作業を、つい最近した。テレビ電話をしながら、これまでの話をした。
「あの時ああ言ってたけど、どういう意味だったの?」「あの言葉から、自分はこう思っていたけど、実際にはどういう気持ちで言ったの?」

そういうことをしなければ、距離はどんどんお互いの気持ちにズレを作ってしまうから。

たくさんの誤解が、別れる理由にならずに済んで本当によかった。


もう一度一緒に創る

日本に拠点を持たず、根無草で生き続けようとする私には、
パートナーとどこで暮らすかということを考えることがうまくできなかった。

でも彼がヨーロッパでキャリアを積んで行きたいという決意をしてくれたおかげで、
私の曖昧な道筋に光を照らしてくれた。

パートナーとは、「一緒にいて楽しいという人」とは違う。

互いの嫌な部分にも向かい合って、それでもそれを受け入れることができて、互いの苦しみも喜びも共有しながら、互いの不完全さを大切にしながら、未来を一緒に創っていく人のことだと思う。お互いのために努力し続けなければならないし、時に自分の価値観を疑う必要もある。
(重いと感じたらごめんなさい・・・でも遠距離2年した自分にとって全部大切なことです)

人生の先輩は、言ってくれた。

「もし、今の関係にモヤモヤしているなら、多分、これから一緒に創り上げていけるものを探すのがいいと思うよ」

お互いの人生、夢、目標がある中で、自分自身のことばかりを考えていては、遠距離は成り立たない。
話し合って、「二人の目標」を建てた上で、それぞれの人生を交差させるタイミングを見つける必要があるのだ。

そんなことを思考しながら、ふと気づいた。

この憎い距離は、わたしたちの穏便な関係を奪ったけれど、
それと同時にこの腐れ縁とも言えよう長い長い付き合いによる絆をより強固にしてくれたのではないかと。

だから私はこの遠恋を、あくまで今は、祝福したい気分なのだ。

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