Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

【つぶやき】引っ越して、師走。

底冷えする部屋で、朝日が空を染めるのをみてた。
遠くに海が見える。

机を作って、買ったベッドフレームを組み立てて、
冬服を一式実家から持ち込んで、たくさんの本を並べた部屋。

「居心地がいいなあ」

冷たい床に、裸足が捉えるその感覚。
窓を開ければ吹き込んでくる山風の香り。

夏の終わりに引っ越して、なんだか落ち着かない毎日を送ってきたけど、
自分の居場所が、住処が、やっとできたような気がする。

書きたくなったのは、随分久しぶりなことだけど、
書くべきことはいっぱいあるなあ。

実は書いてはいた。描いてもいた。
でも支離滅裂で、滅茶苦茶で、ただ思考を吐き出したような代物だった。
しっかりそれを縫い合わせて文章を綴るというのはここ数ヶ月ずっとしていなかった。

だからどうやって文章を書いていたのか、どういう気分の時に筆を執っていたのか
よく分からなくなってしまった。
そしてなんだか恥ずかしくもあった。自分をこうもさらけ出す文章しか書けないことに。

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「素」をさらけ出すこと


先日中学校で「出前講座」をする機会をいただいた。
「生き方」がテーマだったので、私が出逢った海外の友達にお願いをして
「人生で大切にしていること」や「生徒へのメッセージ」を動画で送ってもらった。

自分の話の中には、どれくらい進路に悩んで、どれくらい迷ったかなどを話したけど、
「他人と自分は違うんだよ。自分らしく生きたらいいんだよ」というメッセージを何度も伝えた。

それはある意味、自分に言い聞かせているようなものでもあった。
実際のところ、自分で言いながら、「確かに・・・」と自分が気づかされる始末だった。

「素」は時に人を傷つけるかもしれないし、嫌われることがあるのかもしれない。
でも自分の「素」を隠して、たくさんの仮面を作り続けると、
「素」は奥にしまわれて出てこないところまで行ってしまうかもしれない。

きっと「素」を奥にしまっちゃう人は優しくて繊細な人なんだと、私は思う。
なぜなら、率直な言葉とか正直な態度って、時に人を傷つけたり不快にしたりする可能性もあるから。

私は繊細性が欠けていたのか(笑)うまく「素」をしまうことができなかった。
だから、しまわないかわりに「素」を出しながら社会的にちゃんと適応できるようにしてきたつもり。
そのせいで恥ずかしい思いもしたし、人が嫌な思いになることを言ってしまったりしてしまったけども、

ここに至ってやっと、「ああ、自分らしく生きてる」って
心から言える気がする。

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こんな偉そうなキャプションつけてプレゼンしておりました

自粛ムードでも、一人は嫌だ。


自殺者は日本で、年間約2万人いるんだって。

インフルで死ぬ日本人は、年間 約4千人。
年間で餅などを喉に詰まらせて死ぬ人 約3千人 で、
コロナでこれまで死亡したのは 約2千5百人。

厚生労働省HP 参照


数字で全てを判断するべきではないとは言っても、
未知のウイルスで謎が多いとは言っても、なんだか敏感すぎるのでは?
という思いは拭いきれない・・・

というかそれ以上に自殺者数が多すぎてびっくりする。

とある知り合いがコロナウイルスの陽性反応が出たらしい。
結構社会的に有名な人だったから、ニュースに出ていて、
そのコメント欄はなんだか気分が悪くなるような言葉でいっぱいだった。

不安を煽るようなニュース。ネガティブな言葉。

ーー「自粛」は「自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと」だから、

国の求める「自粛」の形は人それぞれであるはずなのに、感覚も考え方も異なる他人が、
「感染」という結果に対して「被害者」に加害者のような目を向けるこの社会がなんだか不安になる。

コロナで仕事を失った。
売り上げが落ちた。
準備万端だったイベントの中止が余儀なくされた。
逢いたい人に会えない。
叶えたかったことが全く叶わなくなった年だった。

コロナ対策をしても感染者は増えていく一方で、
高齢者に猛威を奮いながらも、無症状や軽症状でも周りに移してしまうリスクのある病気。

どんどん人との距離がは遠ざかり、人と人との間には透明な板が取り付けられて、
他人の咳とかくしゃみをこれまで以上に気にしなければならなくなった。

カメルーンやフランスで一般的な握手やキスの挨拶も、
今ではもうできなくなってしまっている。

この映画がまさに今を描いているなって思ったんだ。
youtu.be


これほど寂しい事態になるなんて。

寂しくって、不安になる。
リモート化して、パソコンの画面越しに話をする日々。
意識して人とつながりを保っていないと、すぐにひとりになっちゃいそうな日々。

そんな社会でふと、こわくなる。

2020年を走り抜く。


そんなこんなで結局ずっと日本にいた今年。
GOTOトラベルで青森と高知に行ったり、神戸に引っ越して地元の市場とか商店街とか海沿いの公園とかで
退屈することなく遊んで、なんだかんだ満喫しながらも、

遠のいていく人との距離に寂しさを覚えたりする1年間だった。

それでも、やっぱり新しい発見とか出逢いとかが絶えないことは、
本当にありがたいなと思う。

振り返ると怒涛のようにすぎた1年間だった。

カメルーンと唐突のサヨナラをして、
実家を突然離れて弾丸で決めた引越し。
「コロナ禍」という特殊な環境で行う仕事に試行錯誤する日々。

人は「慣れていく」ことを痛感した。
いい意味でも悪い意味でも、人は変動する環境に慣れていく。

数ヶ月前まではヨーロッパでは忌み嫌われたマスクが、
今ではつけることを義務化されるし、

リモートワークなんて聴き慣れなかった言葉が飛び交い
フレックスな勤務体制が求められるようになり、

釣りは手渡しではなくトレー越しとなり、

アルコール消毒と検温が日常に組み込まれたり、

そういう細かいことをすでに「当たり前」に感じているのだから、
私たちの適応力ってすごいなって思う。

ポストコロナ時代なんてものが謳われた時期もあったけど、
「ポスト(後)」になることが気が遠くなるほど先のように気付き始めた人々が
自然と、「withコロナ」の生活を考えるようになった。

そしてこうして年の瀬を迎えようとしている。

無人のイルミネーション、閑散とした歓楽街ーー

それでも、そんなちょっと寂しい静かな年の瀬でも、

酒を片手に友達と、そして遠くにいる彼とパソコン越しにでも、

乾杯をして今年の終わりに祝いの杯を交わしたいなと思う。

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