Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

【つぶやき】「普通」が蔓延る世界を引き剥がした話。

今週のお題「盛り」

久方ぶりの社会人は、しんどい。
だから、「盛り」すぎて社会人としてのちょっとしたつぶやきが、スケールが変わってベクトルの向きがバグった感じのブログを公表する。

ものさし、という言葉がある。
人の頭の中にある、色んなものをはかる指標のことだ。

それは必ずしも30cm定規でもなければ、円を描くためのコンパスであるとも限らない。
そんな曖昧なもので、人は人を測り続けている。

その基準となるのが、これまた曖昧で目には見えない「普通」という指標だ。
これも人の頭の中にあるせいで、個人差がある。

つまり0という指標が、0ではない「認識」をしている人もいるということだ。
数学は嫌いなので、これ以上数字の話をするのはやめるが。

君たちったら何でもかんでも
分類 区別 ジャンル分けしたがる
ヒトはなぜか分類したがる習性があるとかないとか

と, とあるアーティストは歌っていた。


「変わってるね。」

ずっと気になっていたんだけどさ、
その言葉は、どこからやってくるのだろう?
そもそも、「変わっていない」場所は、どこにあるのだろう?

普通はそんな状況なら自分が謝るよね。」
普通に考えたらこういう部分は注意するのが常識だよね。」

という言葉を聞いた時に叫びたい。
普通ってなんですか?

生き生きとした若芽を摘むのも、物事の多角的な事実を見ずに一方的に決めつけるのも、この「普通」という二文字で十分だ。
この言葉ほど強烈に、自分の物差しを他人に突きつける瞬間はない。

数年前に「普通は・・・」という言葉を濫用していた自分が恥ずかしい。

俺たちはもっと曖昧で
複雑で不明瞭なナニカ
悟ったふりして驕るなよ
君に君を分類する能力なんてない

いわゆる「普通」が蔓延る世界で、いろとりどりの普通基準によって定められた曖昧なカテゴリーで人は分類されている。
でもカテゴリーに当てはまらない人たちがあぶれて、気まずい思いをしなければならなくなる。
つまり、この世界はまるで普通基準に準じてなければならないかのような構造になっているのだ。

あとはセカオワの「Habit」という歌を聞いてくれれば良い思う。

ぶきっちょな自分が嫌になることがある。
だから、前向きなフリをしてよく笑ってみる。

自分の物差しで人の顔を叩きつけたり、他人の物差しで叩きつけられたりした。あぶれ者にとっちゃ戦争が絶えないのが普通社会である。
けれど幸いなことに、その物差しを奪って川に投げ捨てようとしてくれる友達が多かった。
「そんな物差しいらんやろ。」
そう言って丸ごとハグしてくれるだろうなって人が、頭の中に何人か浮かぶ。そして思い出すのはあのコスタリカの日々だ。

なるほど、これで良いのかと、私はその物差しを川に捨てる。
混沌の中に身を置くことに、深い安らぎを感じる。

pyomn310.hatenablog.com

「複雑で不明瞭なナニか」が溢れてとまらない。

「普通」なんて存在しないのだ。
全ては自分が測っていたせいだったのだ。

これからは自分のことも、誰のことも測らない。
そういう人生のほうが、楽しいじゃないの。

空腹、夕闇、甘味。

ラマダン月は、陽が昇っている間人々は一才水を飲まず、食べ物を口に入れない。
ムスリム(イスラム教信者)にとって、一日5回の祈りと日中の断食は、信仰を深める大切な儀式だそう。

とあるイベントで初めて、「フトゥール」と称される、陽が沈んだ後の1日で初めての食事を振る舞っていただいた。

長い断食を終えた後に初めて胃に入れるのは、水、ゆで卵、デーツ。
甘いお菓子と、塩辛い春巻きや炒めた肉を挟んだパンやらが、円卓に隙間なく並べられてく。

人々は空腹の中それを見つめ、19:00ちょうどを無我夢中で待っている。
腕時計を見て、空を仰ぎ、「ああ、あと数分」、と呟く。

その時間になると、あちこちのモスクから「アザーン」が流れる。神は偉大なり、という言葉から始まる歌うような声。
祈りの時間に流れる放送だが、もしかするとあの時間に聞こえるのは、1日の断食が終わった合図なのかもしれない。

すると同じ円卓に座っていた人が、慎ましやかに、しかし待ち侘びたように、グラスの水を一気に飲み干す。
身体の渇きを満たし、しばらくして、(大半が、卵やデーツではなく)とにかく甘そうなクッキーや塩辛い春巻きに手を伸ばし始める。

「断食をするから、食事のおいしさが身に沁みてわかるのよ。」

ハリラというスープが振る舞われ、私たちはクッキー片手にその塩味の強いトマトスープを平らげる。

フルーツジュース、ミントティーが次々に配膳され、空っぽの胃を満たしていく。
甘味によってぶち上がる血糖値など気にせず、炭水化物ばかりで野菜が見当たらない「ご馳走」を黙々と平らげていく人々に驚きながらも、一つ一つの料理が美味で、自分もまた黙々と食べた。

しばらく食べると、また空を仰ぎ、幸せそうな表情。
腹が満たされるとは、本当にありがたいことだと言わんばかりの表情。
1日ファスティングをして、「空腹」を感じた後の、本当の「満腹」がやってくる。


「一度だけでもやってみるといいよ」
円卓で隣に座ったモロッコ人に、そう言われた。
空腹という苦痛を知るからこそ、満腹という幸福感を味わうことができる。
そんな教訓を国規模で行うモロッコ。国教があるというのは、興味深いと感じた満月が少し欠け始めた美しい夜だった。

猫と、アートと、太陽光。

ラバトに来て1ヶ月が過ぎた。

肌寒かった気候が日に日に暖かくなり、日中は太陽が熱いと感じるほどに。
日差しの強さが、アフリカ。

ラバトの街を歩いていると、突如現れる壁画たちに惹かれる。
観光スポットとかではない、普通の道で突然目に飛び込んでくる。

美しいメディナ(旧市街)の街並み。煉瓦色の壁に囲まれたエリアの中には伝統的な市場が広がり、ポツポツと小さなモスク(イスラム教徒がお祈りする場所)が並んでいる。


ただ歩いているだけで、その喧騒と雰囲気にワクワクしてしまう。
皆素通りするなんでもない路地が、実は素敵な庭園のような風景だったり。

そこらじゅうに人馴れした猫たちが日向ぼっこしていたり。

そんな平和な毎日が続くといいな。

モロッコはラマダン真っ只中で、日中、レストランは一切空いていない。
夕方4時を過ぎるとデーツとゆで卵を乗せた小皿をあちこちのレストランで用意していた。
ファスティング後に食べる最初の食事のようだ。

市場は日中も案外どこでもあいていた。
ときどきお祈りの時間になると人がいなくなって、通りが静かになる。

道端に絨毯を引いて膝を折り、祈っている人の姿が美しいなと感じる。
猫と、アートと、太陽光。

美しき、ラバト。

パンと水の話

いのちのみず

モロッコは滅多に雨が降らないらしい。

確かに、カラッと晴れる日が多くて、太陽光は日本よりも眩しい印象だ。
2月にラバトに着いた時には朝晩は白い息が出るほど冷える割に、昼間は太陽がギラギラと照り付け、海からの風が冷たく気持ちが良かった。

雨が降らないということは、水が少ないということ。
これまであった日系企業の人々や農業に携わる人々曰く、「モロッコには水が十分にない」そうだ。

ちなみに、この国では水道水は飲めない。
濾過器を通した水を煮沸するか、ミネラルウォーターを購入するのが一般的である。

水がない、と言いながら2リットルの飲み水が4ディルハム(約52円)で売られているのは不思議だと思った。
また、シャワーや洗濯で使う生活用水も高いのかと思いきや、毎月200円程度だと聞く。
*まだ暮らし始めて数週間なので、人から聞いた情報

はて、水がないのになぜ水が安いのだろう。

いのちのパン

モロッコの物価は高いか安いか、と一概に言えないと思う。

日本より安いものもあれば、高いものもある。
外国人向けのレストランはランチで2000円をゆうに超えるし、お酒を呑んだ日には一人6000円くらいするので外食はほどほどがいいように思う。
*宗教的な背景からモロッコでは公共の場で酒を飲むことは違法とされ、ほとんどの人が酒を飲まない。お酒を飲めるレストランは外国人向けに限る。

しかし、日本よりダントツに安いものもある。
それは現地で採れる野菜や果物、そしてなんといってもパンである。


「ホブス」と呼ばれるパンは、外はカリッと中はもちもちで癖になる。
スープやタジンを頼むと必ずついて来るし、カゴに入っているパンを全部食べるとまた持ってきてくれる(食べ放題)。

スーパーや売店で買っても一枚1〜2ディルハム(13〜26円)程度。
パン好きにはたまりませんな。

ホブスが一般的に食べられているパンだけど、他にもいろんな種類があるらしい。
atoz-morocco.com

そんな安いパンだが、小麦粉やパスタが特別安いわけではない。
はて、なんでパンはこんなにも安いのだろう。

かみさまから与えられるもの

パンと水は、生きていくために欠かせないものだということ。
イスラームの教えではそれらは「神様から与えられるもの」だから、貧しくとも与えられるべきものだという考え方から、国が補助金を出しているようである。(人から聞いた話なので真偽は不明。これからしっかり勉強していこうと思う)

嗜好品である蜂蜜やコーヒーは、国内で作られていながらも価格は日本と同じくらいであるのを考えると、水やパンは不自然なほど安価である。
国のサポートによって、パンと水は全ての人の手に渡るようになっているのだ。なるほどすごい。

今週から始まるラマダン(断食月)はイスラーム特有の習慣。
1ヶ月間夜明けから日没まで一切水も食事も取らないで、自省をする時期だそうだ。

とあるモロッコ人はこのように言っていた。

<<空腹と乾きを感じることで、実際にそれで苦しんでいる人々の気持ちを知り、本当に「与える」ことができる。>>

日没後、人々はまずナツメヤシの実を食べて(日本なら胃に優しいお粥だが)、その後豆と野菜がたっぷりと溶け込んだ、「ハリラ」というスープを食し、空腹が落ち着くと皆街に繰り出すという。日没後は特に制限なく食べてもいいので、伝統的な甘いお菓子などを食べ過ぎて太ってしまう人もいるそうだ。
そんな豊富な食を貧しい人に分け与えることをする人も多いそうだ(「喜捨」と言ってイスラームの教えでは与えることを推奨されている)。

私にとっては人生はつのラマダン月をイスラム教の国で迎えるので、街がどのような雰囲気になるのか、楽しみでならない。

スマヒリヤ、モロッコ。

お久しぶりです。突然ですが、コスタリカから帰国したのち、再びモロッコに来ました。

「え、モロッコってあの、サッカー4位やったところ?」
と思った皆様、その通りでございます。すごいですよね。
今年は女子サッカーに期待ですね!

日本から直通便ないし、遠いし、どこにあるかよく知られていないこの国で、働くことになりました。
縁もゆかりもないと感じるかと思いますが、モロッコのタコは大阪のたこ焼きに使われているし、一昔前に主婦間で流行った「タジン鍋」もモロッコ発祥です。

実感のないままモロッコに着いた

私としては嬉しい駐在先。なぜなら大学時代にモロッコ旅をしたから。

バックパックひとつで1ヶ月、貧乏な学生旅行とはいえあちこち回ったあの頃を思い出すと、懐かしくてでもちょっと小っ恥ずかしくなる。
まあそれでも、こうしてまた10年以上経ってから戻って来れるのは嬉しいことである。

pyomn310.hatenablog.com

フランス語も話せるようになったし、今回は旅行じゃなくて仕事だし、前よりは現地の人と仲良くなれるんじゃないかと思って飛行機に乗った。

エールフランスには、何度も乗った。機内でシャンパンを注文するのが好きだ。
11時間の飛行は疲れないと言ったら嘘になるが、理由なく歩き回り、水をたくさん飲み、映画を三本見た後に4時間くらい寝て、飯が運ばれてきたらそれを食してぼんやりしていれば、到着する。

見慣れすぎて何の新鮮さも感じないシャルルドゴール国際空港。肌寒いフランス。
今回もカメルーンに向かうんじゃないかという錯覚に陥りながらも、スラムダンクを観ながら時間を潰していた。

桜木が赤木との闘いを終えた頃に、搭乗ゲートの近くにワラワラと集まってきたのは、サブサハラアフリカの人々とは全く顔立ちの違う中東系の人々、つまりモロッコ人たちだった。それでも私は、日本に離れた感覚もモロッコに向かう実感も湧かないままだった。

そして、3時間のフライトを経て、首都のラバトに到着した。

白い街、透明な蒼。

ラバトは美しく、優雅だと感じた。

歩道がある。道路が綺麗。そしてアフリカの太陽はやはり日本より大きくて光が強い。
朝晩は驚くほどに冷え込み、特に建物の中ではダウンジャケット活躍するほどだった(2月現在)。

初出勤の朝は7時になっても明るくならず、不安になったものだった。

雨の日は少なく、すっきり晴れることが多い。快晴の空に何本も飛行機雲がかかり、朝陽がその曲線たちを紅く染める。
くっきりとした海の青とは違う、透き通るような空の蒼は、かつてモロッコを旅した時には気づかなかった。

でもフラッシュバックみたいに突然思い出されるかもめの群れや港町の喧騒から、
確かに自分はモロッコに来たことがあるという記憶を確かめることができた。

タクシーにぼったくられることもなく、酔っ払いに絡まれることもなく(モロッコは公共の場では飲酒禁止)
メディナ(旧市街)の美しい街並みを一人何時間もまわって両手に買い物バックを抱えていても安心して歩くことができた。

スマヒリヤ、モロッコ。

正直、いまだに「モロッコ」を感じられているかというと、そうでもないのかもしれない。

やっぱり悔しいのは現地語(ダリジャというモロッコ方言のアラビア語やベルベル語)を話せないと心を通わせることはできないということ。

タクシーの運転手やメディナで商売をする人々の多くがダリジャしか話せなかったり、フランス語だけを話すと「外国人」と線を引くのが目に見えてわかる。
元協力隊でカメルーンの現地語を話した時に実感したあの心のシンクロをここで体感するには、やっぱり私が頑張ってダリジャを話すしかない。

そう思ってはや二週間が経った。


サラーム(こんにちは)とかワッハ(オッケー)とかをタイトルにして、楽しくモロッコ談を書きたかったのだけど、今は正直あまりネタがない。
だから、スマヒリヤ(すみません)にしてみた。

すみません、モロッコ。今は仕事で使うフランス語で精一杯です。
すみません、モロッコ。タジン鍋買って、郷土料理じゃなくて米を炊こうとしてます。
すみません、モロッコ。初めて来た時よりも感動が薄いんです。

その理由はきっと、まだ田舎町とかローカルな店とかに行けてないからなんだろう。
きっと、きっと、この駐在の間に面白い場所を見つけて、冒険の記録をここに記すことができるだろう。

そう信じて、ブログを再開します。

スマヒリヤ・モロッコ。サラーム・モロッコ。

駄菓子屋讃歌

駄菓子屋は子どもの夢だと思う。

銅のコインを渡すだけで甘いお菓子をくれる「じーじ」や「ばーば」が好きだった。
校区街より外の駄菓子屋に行ってちょっと背徳感を味わいながらも、近所には売ってないお菓子を買うのが好きだった。

脳裏の記憶はモノクロで淡い。
でもなんだか思い出すと懐かしくて笑みが溢れる思い出だったりする。

大人になって、駄菓子屋はなぜか入りづらい店になった。
入口が子ども向けなわけでも、お菓子を食べないわけでもないのに、
なぜか駄菓子屋では菓子を買わなくなった。なぜだろうな。

五円や十円を握りしめて、ちっちゃなガムとかキャンディーを頬張る。
あれが至福の時だった子ども時代に比べると、私は日常に多くのことを求めすぎているような気さえする。

なぜ駄菓子屋のことを書いているのかというと、
先日旅行をした場所で、かなり風変わりの駄菓子屋を見つけたからである。

無人駅を降り小学校を横切ると、古いコンビニのような作りの建物がある。
白いコンクリートの壁に沿って、自販機が並んでいる。
周りは畑だけど、小学校が近いのでお客は来るのだろう。

年末のこの時期だから閉まっているだろうと中を覗くと、蛍光灯がついている。
案外大きくて本当にコンビニのような大きさ。

驚きながらドアを引くと鍵がかかっていて、薄暗い店の中からおじいちゃんが出てきて、
「いらっしゃい」とごく普通に迎えてくれた。

そこに並んでいたのは懐かしいお菓子。

ソフトキャンデーとかパチパチするわたあめとか、チョコレートとかポテチとか。
あーこれ小さい時買ってたなあみたいなお菓子を手に取っては淡い記憶を辿る。

駄菓子が陳列された横には砂糖や乾麺、調味料なども売っている。
大人も入りやすいよう配慮してくれているのだろうか。

170円分のお菓子を買うと、レジのおじいちゃんがビスケット(買ったら多分100円くらいするだろう)をプレゼントしてくれた。
子ども用のくじが置いてあって、多分当たりが出たらお菓子をプレゼントしてもらえるんだろう。

算数の弱い私には、おじいちゃんがどこで得をしているのか全くわからないけれど、
何はともあれ、年の瀬の寂しい寒空にいながら、温かくて懐かしい駄菓子を手にしてちょっと、嬉しくなった。

かつて神戸に住んでいた時に、和田岬でも駄菓子屋に行ったことを思い出した。
大人四人でガムかラムネについていたクジを引いたり、子ども時代には見かけなかった最先端お菓子を見つけて買ってみたりと、大人でも楽しめるものであることはなんとなく知っていた。

でも駄菓子屋といえばやっぱり子どもの秘密基地で、子どもの背丈に合わせて流行りのお菓子が並べられているし、キャンディーもガムも一個売りなので買ってその場で食べるのが普通なので「いい大人が・・・」みたいな気分になるのは否めない。

まあでもそんな場所だからこそ、モノクロの淡い記憶が、今になって蘇ってきて、美化されて愛おしい感じになるのだろうか。

コロナとかで、やり過ぎなプラスチック包装がさらにやり過ぎになった。

スーパーでお菓子を買うと、プラスチックin プラスチックの個包装も珍しくはない。
ビニールを有料にする目的はもはや忘却されて、私たちはプラスチックにまみれながら生きているわけです。

私が駄菓子屋をやたらめったらここで讃歌したい理由の一つは、小売りをしてくれるところ。

小売りなら買いたい時に買って、買いすぎなくて、カバンも包装もいらない。
瓶に入った干し肉みたいなやつとかガチャガチャで出てくるガムとか、ああいうのがとてもいいと思う。

最近はそれらがまだ存在しているのかはわからないけれど、ガムを手に取り、壁にぶら下がった菓子袋を一枚ちぎってレジに持ってくと、「じーじ」や「ばーば」がそろばんで計算するあの風景は、忘れたくないなあ、と思うのです。

新年あけましておめでとうございます。駄菓子屋万歳。

ムンバイ旅行記

インドを訪れるのは初めてだった。
なんとなく、カレーと人混みと牛、というイメージだったのだけど・・・まあ、言ってしまえば全くそのとおりだった。

でもそれ以上に、やはり現地で感じるエネルギーや雰囲気というのは、いかなきゃわからない。
そんなわけでムンバイに二週間ほど滞在して歩き回って感じたことを書いてみたいと思う。


全部ごちゃ混ぜ

ムンバイはインドの経済都市で、デリーなどとは違って(行った事ないから間違っているかもしれないけど)ヒンドゥー教徒のみならず、イスラム教徒もたくさん暮らしている。
私が宿泊したのが、イスラム教徒が住む界隈で、モスクや小さな商店が立ち並んでいる、非常にゴミゴミした場所だった。一歩外に出れば、忙しそうに人々が行き来している。雨も降っていないのに毎日濡れて濁った水溜りがたくさんある道を気をつけて歩きながら、むやみに突っ切ろうとするバイクたちを避ける必要があったので、少し歩くだけで疲れた。

そんな喧騒の中に埋もれながら、「これが活気ってやつなのか」と、想ったりした。

電車の機能がしっかりしていて感動したのだけど、プラットホームに電車がやってきて愕然。
「ドアがない。」

到着直前で減速する電車から、多くの人が降車のタイミングを見計らって身体を半分乗り出している。危なすぎる。
そして停止してもいないのにジャンプ!マジかよ。絶対ラッシュ時間に乗りたくないやつ。

何を運んでいるのか巨大な台車と牛と歩行者とバイクと車が右往左往行き来しているムンバイ・セントラル。
高層ビル街のすぐ隣に広がるドブ川とスラム街。
髪をオレンジに染めた老人が、道脇に座り込んで眩しいオレンジと黄色のマリーゴールドを糸に紡いでいる。

ガソリンや雨風に触れたであろう屋台の食べ物たちはそれでもなお美味しそうで、ガラムマサラなどのいい匂いをあちこちで漂わせている。
残飯や肉魚の内臓はそこらへんに捨てられ、鳥や犬や猫やネズミや虫がそれを食べている。鼻をつくとても嫌な匂いと目を逸らしたくなる光景が、高層ビルの高級ホテルやレストランのすぐそこに存在していた。

そういう綺麗と汚いが出鱈目に隣り合わせになっている混沌が、なんだか生命力に溢れていて、
ただその雰囲気に任せて街に溶け込むことが、心地いいと思った。

全部カレーで全部美味

蒸し蒸しと暑く、豪雨で足場が悪くなったり、ガソリンと埃と汗と日焼けで肌がボロボロになったりしながらもインドを楽しめたのは、やはりご当地ご飯が美味だったからだと思う。

インドといえばカレーなのは知っていたけど、思った以上に全部カレーだった。
カレースパイスの匂いが街中に漂っており、揚げ物とかサンドイッチとか一見カレーじゃないものもカレーの味がする。

ナンと食べるのが普通だと思っていたけど、チャパティというトルティーヤみたいな円形のパンとか、ドーサというカリカリに揚げられたパン?とか、プリという中が空洞の円形揚げパンなどいろいろ種類があった。
カレーも種類が無限にあるので、スパイス系カレーが好きで毎日たべれるという人なら、インドめっちゃ楽しいと思う。

Puri (パンの中は空洞)
Dosa 揚げたクレープ生地みたいな。中にカレー風味のじゃがいも入ってる。
ムンバイ名物ストリートフードVada Pav
ビリヤニ(カレーピラフみたいなん)
Momoという名の料理。蒸し餃子。ちょっと辛いキノコとかチーズが詰まってた
ターリーは本当に最高でした。ユニークな食べ方をするので、別の記事書きます。

他にもいろいろあってここには載せきれない。
行ったレストランで外国人はほとんど見かけない現地人が通うお店。
値段も一食1〜3ドル程度でめっちゃお腹いっぱいなったのでお財布にもありがたかった。

旅行中にお腹を下さないコツは、
・食べる前に手を洗う&アルコール消毒
・ストリートフードは避ける
・事前にgoogle mapでレビューを調べる
・水を買ったらキャップがちゃんと閉まっている新品か確認する
・辛いカレーを食べすぎない・・・ということかな。二週間全くお腹壊さず過ごせました!

あと、辛いものにはラッシーが相性抜群!
口の中がヒーヒーの時に飲んだら一瞬で辛味がおさまる。

ほぼ毎日行った店がこちら。すごいごちゃついた場所にあるけど、清潔で、メニュー数多くて、いつもたくさんの人で賑わっている人気店。ムンバイで一番何が良かったって言ったら多分この店かな!
goo.gl

全部アート

まだまだ貧困の差が激しく、都市化するムンバイにはスラムが溢れ、そこら中にゴミが散らばっている。
それでも、歩んできた長い歴史と、豊かな食文化と、鮮やかな宗教の伝統と、美しい民族衣装によって、その街は魅力的に光っていた。

ビクトリア駅(現在名 チャトラパティ・シヴァージー駅)やゲートウェイオブムンバイなどは、歴史ある西洋式の建築で、世界遺産に登録されていたりする。

ビクトリア駅
ゲートウェイ

また、なんとガンジーが生まれそして亡くなったのもこのムンバイで、ガンジーがかつて暮らしていた家(現在は博物館になっている)を訪れることもできた。

美術館が多く、宗教画にはヒンドゥ教の多神が描かれていて、とても独創的だった。
道を歩く女性たちは美しい布で作られたサリーを纏っている。雨の日も風の日も、埃っぽいまちで華やかに輝いて見えるカラフルな服装も、この町の魅力の一つだと思う。

大学生の時にも海外旅行を何度かしたけれど、今回の旅はなんだかすごく「行ってきた」という感じがする。
観光客なのに変わりないのだけど、現地の風景や雰囲気を強く感じ、その余韻が今も肌に残っている。
昔より「その場所のありのまま」を切り取ることができたような気がした。気のせいかな。

でも、ムンバイのどこまでも生活感の漂う街中で、ハッとするような美しい建築物や芸術に触れたことや、
人間が「生きている」ことを強く感じさせる街の喧騒のなかで、驚くほど落ち着いたという経験は、これまでになかった。

そういう感覚が病みつきになって、旅ってやめられないんだ。