「なんでやねん」
は、お笑いの突っ込みで使われる言葉だと有名だけれども、
案外普段よく使う。
きっと関西人はよく使うんじゃないでようか。
フランス語で「Pourquoi?」っていうのとも、英語で「why?」っていうのとも
日本語で「なんで?」「どうして?」というのとも
意味は同じだけど、ちょっとニュアンスが違うような気がする。
生きていると、
なんでやねん、って思うことがいっぱいある。
例えば、
気まぐれな人間が自分のことや自分の友人のことであることないこと好き勝手羅列してるときや
みんながマスクを買いにに殺到して店からマスクが消えたとき
「なんでやねん」ってなる。
でも怒ってるわけでも、悲しいわけでも、理由が知りたいわけでも、
「why」でも「pourquoi」でも「どうして」でもない。
けどその事実に直面した時、もやもやってすることは確かで。
黙っていられなくて、違和感があって、でもうまくそれを表せなくて。
人の気持ち、ちょっとは考えて物を言ってるの?とか
本当にそれ、そんなに必要あるものなの?とか
なんか変なの~って、
ちょっと冷めた調子でそれを受け止めるときに
「なんでやねん」って言葉が脳に浮かぶ。
声に出すこともある。
まあ、便利な言葉があるなあと思う。
世界には、多くの人が「なんでやねん」と思って生きてる。
男女共同参画とか言って不平等な発言やシステムは残ってるし
「いじめ」は学校でも会社でもなくならないし
貧困をゼロにすると国連が掲げていても、
少し大雨が降るだけでで家が流されて途方に暮れる人がいる。
でも、理由は知らない。聞きたくない。
考えるだけで頭が痛いもの。悲しくてどうにかなりそうだもの。
そういうことを脳裏にほったらかしにして、
自分は今日も生きる。
原発が吹き飛ぼうとも 少年が自爆しようとも
その横で僕ら愛を語り合うもうすぐ滅ぶというのに 明日は晴れるというから
それじゃ「まぁいいか」と目覚ましをかける
今日で3.11から109年。
RADWIMPSはあの大震災と津波に関連する曲を数曲作っています。
身近なことから世界スケールの出来事まで、
理不尽なことはいっぱいある。
嫌になるくらい。
人間の発言なんて信用できないなあってつくづく思うことがある。
「世界はどんどん悪くなっている」
と思い込んでいる人が、ほとんどなんだって。
ハンス・ロスリング氏は著書『FACTFULNESS』の中でそう言う。
「世界では戦争、暴力、自然災害、人災、腐敗が絶えず、どんどん物騒になっている。金持ちはより一層金持ちになり、貧乏人はより一層貧乏になり、貧困は増え続ける一方だ。何もしなければ天然資源ももうすぐ尽きてしまう。」
少なくとも西洋諸国においてはそれがメディアでよく聞く話だし、人々に染み付いた考え方なのではないか。私はこれを、「ドラマチックすぎる世界の見方」と呼んでいる。精神衛生上よくないし、そもそも正しくない。
本書の中にいろんな三択クイズがあったので、やってみたのだけど、
私の正答率は、チンパンジーが三つのバナナのうちどれを選ぶか実験した時の正答率よりも低かった(笑)
引用:
ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、ロスリング・ロングランド著、上杉周作、関美和 訳『ファクトフルネスー10の思い込みを乗り越え、データをもとに世界を正しく見る習慣』
↑日本語字幕入り
ロスリング氏はTED TALKにも何度も出演しており、面白いスピーチが聞けます。
「なんでやねん」
と思うことって、そんなに重大なことでもなければ、
自分にとってひっ迫していて、早急に解決が求められることではないのかな。
確かに、世界には悲しい出来事がいっぱいある。
コロナウイルスも終息の兆しが見えなくて、不安である。
しかし、この本に、ロスリング氏の言葉に、
ちょっと安心する。
私たちはいささか、世界を悲観視しすぎている。それも根拠もなく。
実は過去から現在に至るまで、
究極の貧困は激減していて、
もはや「先進国」と「発展途上国」という呼び名も古いものだということ。
身近なことも、世界のことも、
やっぱり色眼鏡を通してみてしまいがちだから、
「なんでやねん」って思っても、
それが良いか悪いか、改善しているのか悪化しているのかなんて、
統計でも見ないとわかんないし、勝手に決めつけてはいけないね。