Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

【つぶやき】勉強ができない。

どうも、今週はいかがお過ごしでしたか。
今日は勉強のこと、書きます。

みなさんは勉強、好きですか?
昔、私は勉強ができないことが原因で、自己嫌悪に陥ったり、自分に自信が持てなくなっていました。

学生時代、協力隊時代を経て、徐々に「学ぶことの面白さ」が分かってきてやっと今、
「自分を高める勉強」の方法を模索しながら自分なりの楽しさを見つける習慣がついてきたのです。

悪夢の高校時代

高校生活は楽しかったのだけど、当時、私は勉強が大嫌いだった。

国語、数学、理科(化学・物理・生物)、英語、社会(政治・経済、日本史、世界史)…
センター試験対策、国公立大学受験問題対策、模擬試験、学年順位、志望校合格率…

ああ、書いてるだけで苦しい…(笑)

中学校で内申点(授業態度などで判断される評価)が良かったので運よく地元で人気な公立の進学校に入学できたのだけど、
周りが頭良すぎて、先生も頭良い人基準に授業を進めていくので全くついていけず、
全く内容が理解できず、何が理解できてないのかさえわからず、部活の朝練を理由に授業中ずっと寝てた。

そしてどんどん、できない生徒として先生にレッテルを貼られ(特に数学)、
部活の顧問にも学年順位について色々言われるようになり
自分の頭の悪さを呪い、自己嫌悪に陥ってた。

高3になっても
志望校もなかなか決められず、行きたい学科さえも分からず、
行きたい大学がなかったので、勉強を頑張る原動力はどこにもなく、
とりあえず数学や化学を試験で受ける必要がない
「文系」の「私立」を探して受験した。

そんなこんなでまずまずの成績で高校を卒業し、
(私が行っていた高校ではレベルが低いとされていた)大学に無事進学し、
大嫌いだった勉強の中でもまだ「まし」な成績だった「英語」を専攻することにしたのでした。

英語科のくせに英語ができなかった大学時代

人間、そんなすぐに変われない。

フレッシュな気持ちで大学進学をするも、大学3回生まで勉強が全然楽しくなかった。
実践的な英語を勉強したり、留学生と交流したりするけれど、なんかつまらなくて、英語も全然うまくならなかった。

ネイティブの先生の言ってることが分からなくて、愛想笑いでスルーするのが癖になってた。

なんとなーく過ぎてゆく時間の中で、大きな節目となる出来事があった。
ある授業で夏季休暇中のイスラエル短期留学コースを紹介してもらったのだ。

その頃の私は、マンネリズムからどうにか解放されるきっかけを探してたので
イスラエルという国がどんな国なのか知らなかろうが、英語できなかろうが構わずに入学応募をした。

1か月間の留学のために
バイトで頑張って貯めた18万円程度支払って、イスラエルに来た。
選んだのは何を思ったか「ヘブライ語コース」

その頃の私は自己嫌悪でいっぱいで、自分に自信がなく、膨大な大学の学生の中に埋もれて苦しんでいた。だから多分、ほかの人がチャレンジしないようなことをすることで、「アイデンティティ」を保持したかったのだと思う。

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Tel Aviv ヘブライ語で「春の遺跡」

首都テルアビブに降り立ち、
メディアで危険危険と叫ばれてる国にしては綺麗で安全そうだなあ~と思いながら
一人呑気に留学先の大学があるハイファという街を目指した。

英語科の「恥さらし」

親切な人々に助けてもらいながら、なんとかして大学に到着すると
寮のカギをもらって部屋に案内される。勉強机と小さなベッド。簡易なつくりの洗面所。
おお、なかなか居心地よさそう。

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寮部屋

無事に寝床にたどり着いて安心したのか、空腹であることに気づき
なにか食べ物を探しに行こうと出かけて、イスラエルで初めてできた友人が、ナイジェリアのマークさんだった。

彼は当時、アメリカで牧師さんになることを目指しており、
敬虔なキリスト教信者でありながら聖書の研究者でもあった。
旧約聖書を研究するためにヘブライ語の上級コースを受けに来たというのである。

す・・・すげえ意識高い。

その頃の私は流ちょうに自分のことを話せる英語力はなく、
ジェスチャーと愛想笑いでたどたどしい自己紹介をした。

I major in English(英米語学科なんです)

今思えば、英語科のくせに英語下手くそすぎるし
英語科というと「What do you learn in English ?(英語で何を勉強しているの?)」と聞かれるので、
「こっ、こ…コミュニケーション!」と答えていた。
当時の私、よく英語科と豪語してたよ。穴があったら入りたい気分。

だって、イスラエル人の多く、そしてハイファ大学に世界中からやってきた留学生たちは当たり前のように英語が話せて
そのうえで「英文学」「宗教学」「国際関係」などの専攻をしている学生が多かったから。

英語科だったら、人並み以上に英語話せると思われても当然でしょうし、
言語学とか英文学とか学術的な分野を学んでますって言わなきゃ大学生じゃないでしょ、みたいな雰囲気だったし。

日本の英語教育にはっきりと疑問を感じた瞬間だった。
どうして高校では受験英語しかしないのだろう?

ALTの先生とする授業でさえも文法とリーディングに重きを置いていて
まったくネイティブイングリッシュに触れる機会がない。会話する機会がない。

英語の発音がうまい人をからかう雰囲気の教室。
音読を恥ずかしそうにすることが普通の授業。
挙手して発言をすることが、高学年になっていくたびに億劫になる環境

小学校英語教育も実施されつつあるけれど、
根本的に変えなきゃいけない部分が在りそう…
なんなんだろうなあの授業の雰囲気。

大学に入れば変われると思っていたのに。
大学で英語がペラペラになって海外で働けるデキル人材になるはずだったのに。

「どうして?」

がつん、と頭を殴られたような衝撃とともに、
一か月間の、人生で初めての留学生活が始まった。

言葉とは、通じりゃ話ができるのだ

英語が下手くそな私をはなっから相手にしない人もいた。
でも、マークさんは非常にやさしい心の持ち主で、「わからなかったら、何度でもリピートしてあげるから、気にせずいうんだよ」と言ってたくさん話をしてくれた。

ウェルカムパーティーでユダヤ音楽を堪能し、国際色溢れる留学生とマイムマイムを踊った翌日から
ヘブライ語初心者コースでの授業が始まった。

生徒は約10名と少人数。
日本人、中国人、イタリア人、アメリカ人、メキシコ人、ノルウェー人…様々な国籍の様々な年齢の生徒が集結。

先生の最初の一言。
「授業が始まったら、英語はしゃべっちゃだめよ。全部ヘブライ語で表現して見せなさい。」

全員、唖然。
だって、このクラス、ヘブライ語コースでも一番ビギナーのクラスで、ヘブライ語のへの字もしらない人たちばかり。
どーやって始めるつもりなんだろうか…?

と思っていたら、先生が謎の文字をホワイトボードに書き始めた。
日本語や英語と違って、右から左に文字を書いていく。

アレフ、ベー、ギメル、ダレット…

これが、ヘブライ語のABCD…アルファベット「アレフベート」なのである!

ja.wikipedia.org

先生は生徒がほとんど理解していないのも構わず
ホワイトボードの文字を指しながらそれぞれの文字の名前を発音する。
ジェスチャーで「リピートしなさい」と指示。

こんな風に始まったヘブライ語コース。
英語のレベルなんて全く問題にならなかった。
先生はヘブライ語を構わず話続け、生徒はひたすら理解を試みる。

本当に誰も何言ってるか理解できないときは、
ちっちゃーい文字で英語を書いてくれたりした(笑)

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よくこんな授業受けてたな。と今になって思う。

だが、この教え方によって
一週間で簡単な挨拶と自己紹介ができるようになり、
二週間を超えたころにヘブライ語で買い物ができるようになり、
帰国間近には、簡単なお題について作文を書くこともできるようになったのだ!

信じるか信じないかは、あなた次第。

もちろん、授業終了後にめちゃくちゃ勉強した。
単語や発音は自分で何度も反復学習するしかない。
留学費用を無駄にしたくないがために、ちょっとでもいい成績を取ろうと奮闘した。

自分の勉強のために投資すると、モチベーションも上がるのだなあ。
中間テストは6割だったのだけど、総合評価は確か8割近くの成績だったと思う。

高校時代に、赤点か赤点すれすれの点数しか見たことなかった私は、
このとき、ちょっと「勉強」って楽しいのかもって感じることができた。

そして、言葉って最初は通じればいいんだなって知った。

黒いスーツに溺れる

帰国後、「ちゃんと思考せい!」って殴られた頭は
このままじゃあいかん!と思い、
講義にかろうじてついていくのに精いっぱい。

図書室にこもってひたすら本読んだり、
実話をもとにした歴史映画とかヒューマンドラマを見ては
内容を詳しくググり、就職には全く関係のない知識だけが刻まれていく…。

あっという間に卒業まであと一年になったとき、
自分が何をしたいのか全く分からなくなっていた。

とにかく人の流れに乗って就活セミナーに行ったことがあった。

ぴかぴかのリクルートスーツを着て会場に行くと――

無数の人間がいた。

みんな真っ黒スーツで、みんな同じ顔で、同じ髪型で、
違いと言えば男と女だけで、なんかそこにいるだけで何かに飲み込まれそうな
恐ろしい気持ちになって、吐き気がして、

とにかく資料だけ持って逃げるように会場を出た。
数分しかいなかったのに異常な疲労感が襲う。

それから私は、就職活動をしなかった。できなかった。

とにかくせっかく行ったイスラエルのこと調べまくって、
パレスチナ問題という恐ろしく長く続く問題について詳しく学んだ。
違う大学に聴講まで行った。進路はわからなかった。

教職課程を履修していたので
とにかく免許を取得してから考えようと思っていた。
でも「とりあえず」なんて気持ちで教師ができるわけない。
そんなことわかってた。

「これだ!」って思える進路に出逢えぬまま、四回生の夏が過ぎ去った。

何も持ってません。あるのは情熱だけ

そしてダメもとで受けたのが青年海外協力隊、現在のJICA海外協力隊。

卒業を半年後に控える時期で、ちょうど秋募集だった。
必死で応募書類とにらめっこして、片っ端から友人にフィードバックをもらい、
キャリアセンターの職員さんに「国際協力とは?」みたいな質問をする面接官になりきってもらい
模擬面接をしてもらった。

ほんっとうに何も持っていなかった。
小さな経験を無理やり文字にして、何とか紙を埋める。
結局、経験も知識も白紙の私にあるのは、情熱だけだったな。

必死だった。
後がない卒業ぎりぎりのところで、
奇跡的に合格!

あの時の喜びと言ったら…。言葉にできません。

そして巡り合った素敵な人々、辿り着いたカメルーン共和国――

たくさんのことを学んだ。
そして霧に包まれていた道の先が、すこし見えてきたような気がする。

勉強ができなくて、不器用で、自分には何もないって思ったとき、
必死で、本気でやってみる。
するとなんか見えてくる。失敗しても本気でやった後は成長してるから。

周りにはすごい奴がいるかもしれない。比べて辛くなるかもしれない。
でも、比べて文句を言ってもしょうがないもんな。

自分であるということを楽しむと、
なにが自分の好きなことかかわかってくる。
間違えることもあるけれど、はたから見れば意味のないことと思われるかもしれないけど、
それが自分の「勉強」になっているのですな。

カメルーン生活残り3日…。
最後まで100%楽しむべし~!