Smeh liya Morocco - スマヒリヤ・モロッコ

モロッコ駐在生活のことを中心に、色んなことを書いてます。

夜の朝食

モロッコに来て一年が過ぎた。

と言っても、モロッコについて深く観察しているわけでも、歴史や宗教観について勉強しているわけでもないから、見たことや聞いたことをそのまま文章にするくらいしかできない。

最近は長い間、ブログを公開せずにいたけれど、この時期になると感じることが多くて、ついつい筆を取りたくなってしまう。
それが、年に一回訪れるイスラームの大イベント、ラマダン月。

久しぶりに、感じたことを書いてみる。

ラマダン月はイスラーム独自の暦(こよみ)で計算されるので、毎年日付が変わる。

今年は3月12日から始まり、終わりは4月10日か11日になると言われている。
ラマダンの始まりと終わりは、国の「宗教省」が前日に日程を正式に公開する。最終的には月の満ち欠け具合を見て決めるので、直前までわからない。開始日は、三日月じゃないとダメだそうだ。

ラマダンの終わりにはアラビア語で「イード」(祝宴)と呼ばれる祭りが二日続き、祝日となる。
今年は、10日(水)11日(木)が祝日になる説が濃厚らしく、国は特別に12日(金)も祝日にしちゃおうという方針らしい(そんなのアリなのね)。

金曜日も祝日にしちゃうよん、って正式に報道されとる記事↓
lematin.ma

ラマダン中は、モロッコの人々は宗教心を高め自省と精神統一をするために、陽が昇っている間は飲食を一切断つ。
性行為や悪態をつくことも禁じられ、貧しい人の気持ちに寄り添い、施しをより盛んに行うよう努める時期だという。

みんなで(国をあげて)やっているので誰もが当たり前のように断食をしている。
例外はこども、妊婦、生理中の女性、病気の人々だ。対象の人々は断食を免除されるという教えがあるらしい。

レストランやカフェは日中一切開いておらず(一部外国人向けのレストランやファーストフードショップは除く)、酒店もすべて閉まる(ラマダン中にムスリムに酒を売ることも違法なんだそう)。

人々は陽が沈む直前に家に帰るため、道路は大渋滞となり、日没の時刻にはゴーストタウンと化する。

ゴーストタウン化した日没後の街

私は、断食後初めての食事「ftour」(フトール)(モロッコ語・ダリジャで「朝食」を意味する。)にお呼ばれされたことがあるが、日本で生まれ育ち、ムスリムには無縁に生きてきた私にとっては、とても不思議な体験だった。

モロッコの4月、日没は18時40分ごろである。

18時30分には家族一同で食事をテーブルに並べ、いつでも食べられるようにセッティングが完了している。皆ソファに座って、ご馳走を目の前にして、ただ待つ。ひたすら、待つ。

日没の合図は、モスクからの放送(アラビア語の歌うような声)またはサイレンが告げる。
サイレンは非常時に鳴るあの音と同じだったのでびっくりした。

合図の瞬間に皆、まずは水の入ったグラスを手に取る。
サイレンが鳴り響いている間にコップ一杯を飲み干すと、次はデーツ(ナツメヤシの実)に手を出す。

デーツ

私はこのお呼ばれの日、朝から何も食べていなかった(というか出張中で、周りの雰囲気的にも食べられなかった)。
普段断食をしていない身体は、もちろん食事を求める。強い空腹。4月と言っても照りつける太陽の光は鋭くて、汗ばむ。唇が乾いて、頭痛がする。

そんな苦痛極まりない状態の中、ようやく日没だ、というタイミングで飲むことができた水の、なんて美味しいこと。
甘すぎると敬遠していたデーツの、なんて甘美なこと(この日から本当にデーツが好きになった)。

この満足感は、確かに断食をした人にしかわからないのかもしれない(しかし、モロッコ人のように慣れていないので、体調を崩しそうだった。無理は禁物。)。

そのほかに、牛乳、ゆで卵、ハリラスープ(トマトベースのスープ)、パン、シュバキア(キャラメルコーティングされた小麦粉の揚げ菓子)はフトールでお馴染みのメニューだ。
そのほかの料理は、家庭によってタジンを食べたり、フルーツや野菜を食べたりとそれぞれだそうだ。

一般的なフトールの食事(レストラン)

鳴り響くモスクからの声が、深い青に染まった空に溶けていく。食べ物が、身体の中をくぐっていく。

空腹に急に甘いデーツとシュバキアを食べると、お腹がいっぱいになって食べる手が止まる。皆、それほどの量を食べるわけではないらしい。

お呼ばれした家でも、中学生と大学生の姉妹がすごい勢いでスープを飲み、ケフタという肉団子をパンに挟んで数口頬張ったかと思うと、数分後にはお腹いっぱいと言って食べる手を止めてしまった。並べられたご馳走はほとんど減っていない。

いつもこれしか食べないの?と聞くと、「少し時間が経ってからちょっとずつ食べるの。時間が経ってはつまんで、また寝る前につまんで・・・そんな感じかしら。」
太りそう、と思ったが何も言わまい。

ゲストとしてもてなしてくれたその一家で、私は20代の頃から比べてずいぶん収縮した胃に、次々と詰め込むことになった。

とても美味しいのだが、延々と取り皿に料理が乗せられて胃が苦しかった。

郷に入っては郷に従え。言うは易しだ。

お呼ばれした先で振る舞ってもらったご馳走


私にはこの宗教観を理解することはできないと思う。
結局は好奇の目で観察し、印象に残った部分をかいつまんでこの文章を書いている。

他のアラブの国で暮らしたことはないから、他の国ではまた違ったラマダンの雰囲気があるのだと思う。

私が書いたのは、あくまで私が見たモロッコのラマダン月。モロッコでも地域や家庭によって過ごし方は異なるのだろう。

理解はできなくても、共感はできなくても、
この伝統的な儀式を重んじて、丁寧にルールを守って生きている人々を素直に尊敬する。
外国人である私を、そんな大切な「夜の朝食」に呼んでくれたことが、嬉しいと思う。

普段食べているもの、食べ物から作られている私の身体、血液をめぐる水。
誰かに施しをする気持ち、信仰する心、空腹を耐えられる精神。

私が日本で食べる前に掌を合わせるように、神社に行くと賽銭に小銭を入れて神頼みするように。
彼らにとって何年もかけて身体に染み込んだ習慣。なのかな。

分かったようで、わからない。でもそれでいいなあ。

毎年行われる大きなお祭りのようなもの。とあるモロッコ人はそう言っていた。
「断食は慣れればどうってことなくて、「夜の朝食」が楽しみになるラマダン月が好き。」

彼らの聖なる月。

私もそこに偶然、ちっとばかし、お邪魔している、
そんな気持ちでいます。

想像力の広げ心地

今週のお題「最近読んでるもの」
『オールドテロリスト』村上龍

朝晩によく雨が降る。時折冷たい風が吹く。
日は短くなり、退勤時間の空が深みのある蒼に染まる。
名前も知らない木に、薄ピンクの花が、ぽつぽつと咲いている。桜とは違う、異国の花だ。
紅葉はないが、確実に秋めいた空気になっている。

***

職場の隅の忘れられた一角に、書庫のような場所がある。
そこを見つけた時は、なんだか秘密基地を見つけた小学生のような気持ちになった。

学生時代に読んだ小説や、古本屋とかでよく見かけるけど開いたことがないような分厚い本とか、90年台の地球の歩き方「モロッコ」や外交史とか中東情勢とか日本経済の本がずらりと埃をかぶって並んでいる。奥行きのある本棚だから、手前の本の後ろには別の本の背表紙の影が見える。

それを見つけてからは、気の向くままに本を手に取り、仕事以外の時間はほとんど本を読んで過ごすようになった。数週間前の話。

それは、今の自分が必要としていることだったのかもしれない。
ネットや知人から得る情報でいっぱいになった脳みそは、「十分に頭を使っている」と錯覚し、ろくに想像力を働かすことがなくなっていたから。

やたら時間を持て余していた学生時代は、よく図書室にこもって手当たり次第に本を読んだ。
そうして、読み慣れない漢字や、会話では絶対使わないような言い回しを学んだ。学んだ、というよりはごく自然に吸収していった。

その頃の自分が、本を読んでいたからどうだったかとかは、あんまり関係ない。
ただ、自分が本を読んでいる時の方が心地がいいだけだ。

そういう感覚は、忙殺の中でいつしか忘れられていた。
でもその秘密基地を見つけてからというもの、本からしか得られないことを思い出す。

ーーーそれは、「想像力」だった。
そしてそれは、自分が文章を書くときや、話をするときや、思考するときに最も大切にしていることだった。
・・・のかもしれない。それは、ここ数ヶ月で随分衰えてしまっている。

***

小説の主人公は、仮に特徴がないように描かれていても、やはり現実離れして風変わりに見える。それはおそらく、文章によって具体的なところまで描写されるからなんだろうと思う。

今読んでいる『オールドテロリスト』には、精神安定剤を噛み砕くシーンが何度となく描写される。筆者はそれを噛み砕いたことがあるんだろうか。それをビールで流し込んだことが、あるのだろうか。

現代に蔓延る「不安」とか、なんとなく暗い雰囲気の日本、
テロ、抑うつ、PTSD、暴力、クスリといった物々しいワードを、怖いほど現実的に、現代の日本に埋め込む。

ちょっとばかし世界の軌道がずれていたら、現実に起こっていたかもしれないことばかりだ。
いや、ただ私が知らないだけで起こっているのかもしれない(実際外国では戦争とかが起こっているから、あり得ない話じゃない)と思うと、ただ戦慄する。

筆者は、もしかしたら現代に瓜二つの、でもちょっと違う(例えば月が二つある)世界に身を置いて、その恐ろしい事件に巻き込まれて、体験談を書いているのではないかとイメージする。
精神異常者やPTSDやパニック障害の人々の描写が具体的で、身震いする。(少なくとも私は、具体的だと感じたというだけだけど。)

この小説に出てくる、カツラギという色白でスラリとした和風美人の女性。
若く洗練された容姿だが、強い安定剤を常服しており、精神に不安定なものを抱えている。
「常軌を逸する」子供時代を送り、人とうまくコミュニケーションを取ろうという努力が感じられない。会話が噛み合わない。笑いのツボが謎。でも言葉一つ一つが本音。そして本質をついている。

主人公であるセキグチは、記者の仕事を失い、妻と子供が出ていき孤独となり、抑鬱状態が続いている。金はなく、ボロアパートに住んでいる。中年でホームレスのような格好をしている。(そんな絶望の中で、細々とネタを掴んでは記事を書く仕事を続け、テロ事件に巻き込まれていくという話)。

そんな彼の「ごく一般的」思考や質問に対して彼女は、「どこまでも幸福な人ね。」と微笑む(多分あのシーンで彼女は微笑んだと思う)。
そのときに彼が感じる描写が、ものすごく、「わかる」のだった。これだけ悲しい経験をしてきた自分を、「幸福」?でも、ああ、本当だ。そうだな。と彼女の本質的な言葉に納得していく描写だった。

小説のいいところは、自分が上手く表現できない感情を、細かく、本当にわかりやすい言葉で代弁してくれている(あるいは似たことを表現してくれている)ところだ。

まるで自分がセキグチのように、その言葉の棘に傷つき、自分がカツラギにそう言われているような気がして、胸がギュッとなる。
でも悪い気はしない。想像が広がる。「普通」では起こりうらないことが、小説ではしっかりと記されている。

分厚いハードカバーの本をめくりながら思う。
小説家を、ストーリを書いて世に出す人々を、本当に尊敬する。

***

そういう微妙な「現実離れ」なストーリーを延々と読んでいると、

想像力のない発言や指摘ほど腹の立つものはないと思えてくる。
おそらく、想像力こそ自分が大切にしていることだと感じたのは、小説を漁るように読み始めたつい最近のことだ。

以前にも一度書いたことがあるけれど
「普通〇〇だ。」と自分の枠で考えた常識を、他人に突きつけるという行為が自分には理解ができないということ。

それはつまり、他の人には他の人の物差しがあるという想像力に欠けているということが、
個人的に怒りを抱く要素になっているからなのだと気づいた。

pyomn310.hatenablog.com

モロッコにはモロッコの、日本には日本の考え方や物事の進め方があるように、
世代ごとに、出生地ごとにーーーーいいや、70億人の人間一人一人ごとには、大切にしていることがあり、それは似ていたとしても誰一人同じものではない。おそらく。だからこそ「普通」がまかり通る社会に合わせていたとしても、合わせられているとしても、やっぱり心はどこかで叫びたがっている。違う、チガウ。大切なものは、本質は、もっと深く、複雑なんです。

***

大学院の勉強においても、仕事においても、
「想像力」というのは必要なものだとわかっていたけれど、わかっていなかった。
つまりは想像はしていても、それを拡げていく努力を怠ってきた。

最近は、社会に馴染むこととか、ちょい先の未来の不安を払拭することに尽力しすぎて、想像に浸ることをすっかり忘れていた。

まあ、それでもなんの問題もなく、やっていけるのだった。
職場の書庫を見つけなかったら、気づかずに想像力はどんどん削り取られて、損なわれていったと思う。

小説は少なくとも、凝り固まった脳みその狭苦しい四畳半くらいの想像力に、新しい風を窓から吹き込ませることができる。
そして自分が大切にしていたささやかな何かを、もう一度見つける。

想像力の広げ心地は、悪くない。新鮮な気持ちになる。
背表紙をひとしきり眺め、埃を払って本を開く。ワクワクする。
読書の秋は、始まったばかりなのです。

土のついたサツマイモ

今週のお題「芋」


「モロッコに来て不自由することってありますか?」

と知り合いの日本人に尋ねてみたことがある。
10年近くモロッコの旦那さんと、3人のお子さんと暮らすお母さんだ。

彼女は2秒ほど考えて、さらりと答えた。
「ラップが剥がれないことぐらいかなあ。」

確かにその、薄いプラスチックのフィルムは、その筒からなかなか剥がれない。
少し爪が伸びているときにはなんとかそのくっついた頑固なフィルムの端を摘み出すことができるが、
つまみ出した部分とへばりついた部分で裂けてしまい、脳の隅で小さなイライラが募ってしまうのだ。

「すごく、わかるなあ。」と思う。

けれど、その答えは、さほど大した悩みもなく、
要するに何にも困っていない
という気色を帯びていた。

確かに、ここでの生活は本当に満ち足りていて、文句のつけようがないかもしれない。多分。

***

YouTubeか何かで季節のレシピでサツマイモの入ったお味噌汁を見かけた。

紫色の皮の中に、秘密めいた黄金のふわふわな甘みを帯びたものが詰まっている。
あの甘みと温もりを思い出す。

そして無性にサツマイモが食べたくなる。

確かモロッコにも売っていたはずだ。と、早速、スーパーで探してみると、

ジャガイモの横に、丸いピンク色の皮のじゃがいもより一回り小さい芋と、泥がたっぷりついた紫色の芋が並んでいる。
ジャガイモと、そのピンク色の芋は泥など一才付着していないのに、
その隣に陳列されているサツマイモらしき商品だけは、紫の皮の上に分厚い黒い泥が固まって付着している。

私は迷った。なぜこんなにも土がついているのだろう。

これを家のシンクで洗うのが面倒だな。触れると土がついてしまうな。

農作業をするときに土がつくことは全然平気だけど、
スーパーに買い物に来て手が泥んこになるのはなんだか嫌だった。

他の芋には泥がついていないのに何でだろう。としばらく芋の前で考えていた。
ジャガイモを紙袋につめる人々はいても、誰も泥だらけのサツマイモには手を出す様子はない(たまたまかもしれないが)。

でもその新鮮な姿になんとなく惹かれた。

農家さんがそのままスーパーに持ってきて、乱雑に並べたかのような姿。
さっきまでしっかり土の中で栄養を吸い取っていた実が、そのまま場違いな場所に連れてこられたような。

これを掘り出したモロッコの人々は、湿った土を払いのけることもなく、コンテナにぶちこみ、都市に運ばれるトラックに積んだのだろう。
きっと長靴を履き、汚れても良い作業服を着ている人たちだ。

何度も芋を運んだであろうトラックは、最初から泥が落ちているから、気にすることはない。
スーパーの人も「生まれたて」の姿のままのさつまいもを特に疑問も持たずに受け入れ、そのまま野菜コーナーに並べる。

単なる想像だが、そんな過程を踏んでやってきたサツマイモが、ちょっと愛おしくなった。
泥がついていて何が悪いのだろう。少しでも手に取るのを躊躇した私を許してくれ。

3個ほど紙袋に入れて、焼き芋にすること決めた。

***

モロッコへきて約8ヶ月が経った。
繰り返しのようで毎日少しずつ違う「間違え探しの絵」のような日々だった。
(世界では、山間部で地震が起こったり、近くの国で洪水が起こったり、中東では戦争が勃発したりしているけれど)

文字通り、あくまで主観的な話をすると、
ラップがなかなか剥がれない以外には、
特に不自由のない生活を送っている。

毎日仕事で目にする経済や政治のニュース。知らないフランス語の単語。
外交的な特殊な言い回しや、いまだに慣れない書類作業。
そういうものに対しても徐々に適応し、なんとなく生活リズムを掴んできている。多分。

家にいる時は、丁寧に料理をするように心がけたり、本をたくさん読んだりして
かつて海外駐在をしていた頃のように、勤務外時間は趣味で埋め尽くしてみる。

オモチロイことがないかなあと、ぶらりと街を散策できる治安の良さがある。
電気と水があり、ボランティアや学生時代と比べれば、ずっと良い生活を送っている。

そんな日々が「慣れ」に染まる。

読む記事にも、調べる文献にも、
「この地球が100%良い方向に向かってますよ!」という文言はないにしろ
「明日、みなさんは野垂れ死ます。」という終末的な文言も見当たらない。
そもそも、みな、極端なことはそんなに書かないし、当たり前のことは当たり前で置いておく。何も言わずに。

当たり前なことこそ、当たり前でなくなったときに困るものなのにね。

次第にこの満ち足りた生活に対しても
「ありがたいなあ」という気持ちを、抱くことも減ってきているように感じる。
目がつくのは、小さな不満と、不安な未来ばかり。

それでも、やっぱり外国にいると、
これまでの常識を逸するような小さな出来事は起こり続ける。
剥がれないラップも、サツマイモの泥も、別に摩訶不思議体験でもなく、オモチロイ何かでもないが。

それでも今を見つめることを忘れないようにしなくちゃと思い、こうして久方ぶりに文章を書いている。
***

苦労をして、固まった泥を洗い流す。
タワシだと皮まで剥がれてしまうので、とにかく泥を湿らせて落とし、こびりついたものは優しく爪で取り除く。

そういう小さな不自由が、時々心地よかったりするものだ。
休日はそういう時間がある。幸せなことだと思う。

どうしても汚れが取れなかった部分は皮を取り除き、
アルミホイルに包んでフライパンで蒸し焼きをしてみる。

モロッコ産のサツマイモは、中身は黄色というよりは白っぽく、
蜜の量はそれほど多くないようだった。

日本の焼き芋ほど甘くは、ない。
日本の焼き芋が、恋しくなる。

「力なき正義」の話。

特別お題「わたしがブログを書く理由

みんなちょっとの勇気を出してみたり、ちょっとの弱音を吐いてみたりしながら生きてる。
みんな違うから、みんないい。

たくさんの情報に混乱する時代、いろんなものが受け止めきれない。私もそう。
でも、心が育ちにくいこの世界で、ちょっとでも自分の本質というか、芯の部分みたいなところを表現できる場所が欲しくて。

それを、伝えたいから書く。読んでくれる人がいるから書く。
読んでくれて、ありがとう。

無力を知ること

私は無力だ。

それは、何も知らないまま世界に出て、カメルーンという国の小さな街で「ボランティア」として暮らした時に、何度も、何度も感じた気持ち。
目の前に広がるのは、自分にとって天地がひっくり返るほどの価値観の違い。キタナイやキレイの概念も、幸せや優しさの概念も違う。ただ自分がそこに適応して、存在意義を正当化することに必死で、周りの人に与えてもらってばかりで、ボランティアなんて名ばかりで、私腹を肥やして帰国したと言っても過言じゃないと思う。

その後、日本に帰ってきた後も、悩む人や身近な人の悲しみを掬い上げることもできないで、無力を感じることは多かった。
だから、なんだかもやもやしていた。

多くの人が、心に火の子を持ちながら、くすぶって、もやもやして、言葉にできなくて、なんか不安で、そういう日々を超えてきたんだろうなと思う。どこにいても、何をしていても。

そういう人は、自分に言ってあげて。「よくやったな自分。まあ、まだまだなんだけどさ。」
それを仲間と言えたらもっといいな。

「私」という存在について知りたくて、それに必死で、結局周りの人のことなんか気にもしてこなかったのが、私だった。
そうして、無力さに向き合わないまま、とうとう29歳にまでなってしまった。

愛情タンク

私の原動力は、好奇心だと思う。

興味があることに対してはとことん話を聞くし、勉強もするし、達成するためには我慢も惜しまない。
その人が大切!だと思ったらとことん大切にはする。
未知が好きで、知らないことをとことん知り尽くしたい、実際に見てみたい、体験してみたいという気持ちが強いんだと思う。

曝け出すようだけど、その好奇心がなくなって「興醒め」した瞬間に、輝きを失って、これまでの熱はどこに?と周りが驚くほど冷めてしまう。
感情の人だな、と今では自覚できる。

好奇心エネルギーは凄まじくも、22歳の私をカメルーンに連れてきてくれたし、その後もコスタリカに住んで信じられない自然の中を旅行しまくり、世界中に友達ができて、今はモロッコに暮らしている。その過程には満足しているし、目標達成のためにコツコツやったのも確か。

でも、やっと気づいた。
口では「周りのおかげだ」なんて言いつつ、自分主軸で生きてきたこと。
感謝していると思っていても、その他人からの優しさとか思いやりを、自分を満たすために使ってしまっていたこと。

「なんだか、本音で話せないなあ。」と感じる。

私はいつから、空気を読むようになり、思ったことをずばっと言えなくなったんだっけ?
知らぬ間にそうなって、人が語る言葉から、気持ちを汲み取れなくなっていた。

自分の「愛情タンク」が小さいから、人に寄り添えないのだろうか。と悩んだ。
タンクがいっぱいな時はいいけれど、すぐにそのエネルギーが尽きてしまうから、他人にチャージを求めて思わぬことを言ってしまうのだろうか。

「循環が大切なんだよ」と、私の尊敬する人は言う。
愛情を与えてもらったら、それを送る。人を思いやること、笑顔にすることで幸せを感じる。
本音で語るし、本気で生きている。そういう仲間を増やしていくことができる方法を教えてもらっている日々。

「愛情タンク」を大きくすればいいってものではなかった。
私は与えてもらっていた。与えられることに慣れていた。「欲しい欲しい」とばかり言って、相手の本当の想いなんて長い間汲み取ってこなかった。

そうじゃなくて、与えてもらったら、自分も送ればよかったんだ。

ああ、もやもやが、少し解けたような気がする。

モロッコの震災

9月8日は花金だった。

花金といえばお酒だった私が、酒を控えて水を飲んで、そろそろ寝ようかと思っていた矢先だった。
家の間接照明が揺れた。窓が開いていたから、風が強いのかと思った。
すると静かな夜に、ぐぐぐぐ・・・と建物が唸る音がして、ふわっと浮くような感覚があった。地震だった。

モロッコの建築物がどれほど耐震性があるかわからなかった。とにかく一番丈夫そうなテーブルの下に隠れてみたが、急に孤独に襲われ、恐怖を感じた。アパートの住民が声を上げながら階段を降りていく音がする。
ぐぐぐぐぐ・・・・と揺れる。長い揺れだった。
幸い、私の住むラバト市は大事に至らず、夜は眠った。そして朝、起きたら、ここから数時間離れた場所では、大変なニュースになっていた。

力なき正義は無力

被災したのは山間部の小さな集落。
何度となくモロッコの山道にドライブに連れて行ってもらい、「あんなとこに人住んでるの?」みたいな場所を見た。

モロッコの田舎は、日本の山みたいに木々が生い茂っておらず、サバンナのように低木が点在しておりほとんど乾燥した地面が剥き出しの丘が続いている。不毛なその地に時々現れる泥壁の家々を見た。新聞やニュースで瓦礫になっているのは、そういう泥壁の家がほとんどだった。


毎日増え続ける死者数。300人だったのが今や3000人になりそうだ。
数字でしか追いかけられない事実に、心が締め付けられる。

新聞をひらけば一面の写真。
集落の郵便局や役場の壁にヒビが入り、鉄筋が剥き出しになっていたりする。
鉄柱と布だけのテントに、4人も5人もぎゅうぎゅう詰めだ。

それでも「譲り合い」「思いやり」「信仰心」といったモロッコ・ソウルが、被災者を強く励まし、支え合っているようにも見えた。

仕事で報道を追い続けて、いろんな視点の「震災」を見た。

私が無力だと思っていたのは、
私が出来事の偏った部分しか見てこなかったからなんだと思った。

現地に行って、物資を届けて、被災者を支援する。お金を寄付する。
確かに大切なこと。

でも、それができなかったら無力なんだろうか?
悲しいニュースを見て、ただ辛いと言うだけ?無力と嘆くだけ?

違う。

「力」はまだまだないけれど、「正義」の形は一つじゃないから。
今できることは絶対にある。

モロッコの正しい被災状況と、無事な場所のことを伝える。
モロッコを知らなかった日本人がモロッコに注目している今、国の魅力や見どころを伝える。

微力でも、一人でも多くの人がモロッコに来るきっかけになるし、
メディアで「震災=モロッコ」と思っている人たちの視野を広げることもできるかもしれない。

私はこの地震を、全くの外国で経験して思った。
明日死ぬかもしれない、は、大袈裟じゃないってこと。

だから毎日幸せに生きることって、めちゃくちゃ大切やん、ということ。
当たり前になりすぎている「明日」を、なんでもない「今日」を、後悔なく過ごせるようにするにはどうしたらいいのか。

みんなちょっとの勇気を出してみたり、ちょっとの弱音を吐いてみたりしながら生きてる。

でも、本気で何かにぶつかったことある?
本気で自分にとっての「幸せ」を考えたことがある?

私はなかった。そして考えて、見つけた。
「幸せ」は一人では得られないもんなんだということも、ようやくわかって、動き出した。

いのちの時間

「1日は24時間です。」

そう習うが、本当に、陽が昇ってから沈むまでの時間は、均等で毎日同じなのだろうか。

ブーケンビリアが白い壁伝いに咲き乱れ、潮風が吹くラバトの街。
ヒジャブを纏う女性たち。
日向ぼっこをする猫や、隅に座り込んで物乞いをする老人。
夕刻の鋭い太陽光。
滑らかなアラビア語の音。

私が生きている世界は、本当に広いなあ。
どこまでも続く本棚に詰められた、大量の書籍のように、一生ではとても知り尽くすことができない。

去年も、一昨年も、違う場所にいた。
好きに世界を歩きたくて、無茶をして、でもそれが心地よかったから。

一年前の、コスタリカの海を憶えているかというと、

その光景は写真頼りで、

むしろ日に焼けた痛みとか、
砂が足の指に吸い付く感覚とか、
ゴーグルが流されてしまうくらいの大波に飲まれた時の激しい引力などを思い出す。

結局記憶なんて曖昧で、過去はそうやって整理されないまま積み上げられていく。

1日は24時間であるという世界の基準によって、私たちは1年ずつ歳をとっていく。
後にも先にも、前に戻るということは絶対にできない。

私たちは常に「今」が一番近しく、一番融通が聞く。

けれど「今」の存在が当たり前すぎて、そして過ぎ去るのが早すぎて、
私たちは「忙しい」と叫んでいる。

私たちは、なんのために「忙しい」?
忙しい時は気づかない。いのちの時間はとっても大切でかけがえがないこと。
眠りから醒めたように、そういうことを問うて、考え始めた。

だから、1秒が、1分が、1時間が、奇跡。
するりと流れていって、知らない間に消えてしまいそうな刹那。

悲しみや妬みや怒り見たいなネガティブな感情で、その刹那を溶かしちゃっていいのかね?

そんなものより、面白いとか楽しいで、その時間を染め切ってしまいたい。

思い立ったら、声が出るうちに、電話をしようと思う。
思い立ったら、歩けるうちに、その道を歩こうと思う。
思い立ったら、脳が忘れぬうちに、尋ねようと思う。

答えはない、ただの呟き。
でも巡り巡る世界の全ての中で、チマッと存在する自分が、
思い立ったので書き残した、いのちの時間。

忘備録というやつなのかも。

#今週のお題
『海獣の子供』
読みたい本(漫画)。
アニメの絵画が美しすぎて、引き込まれる。海の宇宙に吸い込まれて、惚れ込む。
「いのちの時間」について考えさせられたきっかけは、全く別だけど、この物語を思い出さずにはいられなかった。
気になる方は↓
www.animatetimes.com

天と、地球と、人々。

モロッコに来て、少しずつ友達が増えてきた。

華金にお呼ばれした家は、オリエンタルな柄模様のソファが壁沿いに置いていて、広々としたリビングに油絵の抽象画があちこちに飾ってある。
前菜に焼き菓子とミントティー、そしてタジン鍋2つ分のご馳走をいただき、夜中にドライブまで連れて行ってもらった。

先日は職場の先輩たちとマラケシュに行った。学生時代に貧乏旅行で訪れた時とは全く違う視点で、歴史ある赤い街を堪能することができた。

お仕事関係で知り合ったものの、とても仲良くさせてもらっている生花の先生に、先日初めて「草月流」の生花の基本の一部を教わった。
枝、葉、花で、天、地、人々を3次元で表す。

小さな水盤と、手のひらサイズの剣山の上に、一つの宇宙があるような。

そんな美しい日本文化を、私は日本で生まれ育ちながら知らなかったのだった。
まだまだ未知は多い。だから、とても楽しい。

見上げると8割がた快晴の空。
日中は太陽が眩しくとも、それほどうだるほどでもない。海から風が吹いてくるからだろうか。
マラケシュでは30度を超えて身体が熱っていたが、夕刻にラバトの街に着くとひんやりと肌寒く感じさえした。


花一輪一輪の彩り。
夕刻の大きな太陽。
白いモスクと歌のように響くアザーン。
突き抜けるような透明の空。
歩きすぎてパンパンになった足と、
どこまでも続く地面。道。そして未知。

そんな全部を包み込む夕刻の一瞬に、ただ酔いしれる。

戦争や社会問題や値上がりや環境破壊といった悲しいニュースが流れるこの世界で、私たちは生きていかなければならない。
できるだけ楽しいことを探して、できるだけ一刻一刻を笑うことができるように。

それが叶わないこともある。
そのために動くエネルギーがなかなか出ないこともある。

私は私のことでいっぱいいっぱいだ。これまでも、きっとこれからも。
国際協力とか、社会解決とか、そういう崇高なことに手を出そうとしてきたけれど、最近痛感することがある。
「言葉で言うは易し。実際の世界は本当に複雑で、一人の力ではどうしようもない。」

夢や憧れを現実に引き寄せて、自分の可能性をこじ開けたのも自分だ。だからこそ気づけた現実。
だからって「諦める」とは言わない。

悲しい現実に絶望せずに、自分と、自分の周りの人でできること、そして幸せになっていくことを考える。

パレード(マラケシュ旅行記)

モロッコにある盆地、マラケシュという街は商業都市であり、観光地として有名である。

大学時代に歩き回ったあの街で、言葉の壁に葛藤の感情を抱きながら、フレンドリーな態度で近づいてくる商人たちの客引きを体験した。カラフルで混沌としている、パワー溢れる街であったと記憶していた。

今回は仕事で駐在をしていることからも、前回の観光客としての心持ちとは少し違っていた。また、現地の友達数名との旅だったので、言葉の壁(アラビア語)にそれほど悩むこともなかった。

首都ラバトから電車で約3時間、10年前と変わらぬ赤い町がそこにあった。

「タンジーヤ」(Tanjiya)という壺の中で煮詰めた牛肉の煮込みをモロッコお馴染みのパン「ホブス」でいただく。
様々な工芸職人たちが集まるマラケシュだからこそ、火加減などを気にせず長時間ほったらかしにできるこの料理が名物になったのだそう。

マラケシュの郷土料理タンジーヤ作り体験 | ツアー関連情報 モロッコ | 風の旅行社

腹ごしらえをして、Riadと呼ばれる古くなった邸宅をリノベした宿泊施設に移動。タイル張りの壁や荘厳な雰囲気のテーブルなどがとても特徴的。

メディナ(旧市街)に向かう頃には陽が高く昇り、34度ほどの気温になっていた。どこもかしこも壁は赤(ピンクに近い色)で、晴天の青空にとても映えている。

ギラギラ照りつける太陽の下で、暑さに負けじと観光客たちが長いツバの麦わら帽子をかぶってカメラをぶら下げ、必死で商人と土産の値段交渉をしている。

商人たちは負けじと客引きをし、笑顔で商品をすすめる。オレンジジュースを売るおじさんたちが、屋台から手を振っている(うちのジュースを買ってくれ〜と叫んでいる)。
10年前、私はあの光景の一部にいたなあと、懐かしくなる。


陽が沈むと、本当のマラケシュの喧騒がやってくる。
マラケシュの名物であるジャマ=エル=フナ市場は、マラケシュにくれば誰もが必ず訪れる中心地。

人ごみもいいところで、友達とは腕を組んで歩かないと迷子になりそうなほどであった。

モロッコランプには火が灯され、ゆらゆらと光が揺れている。
気温が下がり、すこし冷たい風が吹き始めるとGnawaという伝統音楽がどこからともなく流れてくる。

マジックショーやダンスがあちこちで行われ、綿菓子や光る風船が売られていて、人だかりが大きな広場を埋め尽くす。
そのエネルギーに圧倒されながらも、友達のダリジャ(現地語)に耳を傾けながら、とにかくこの瞬間を見逃すまいと写真を撮った。

街はパレードそのものだった。
10年前に感じた混沌という印象は、ポジティブなものでも、ネガティブなものでもなかった。観光客として言葉もわからずに、戸惑いながらこの街のパワーに身を任せていた。というか任せるしかなかった。

今の私は、こう思う。
次から次へと色んなものが披露され、最初と最後が曖昧で存在しないパレード。

人々は日々の暮らしに慣れ、それを平凡と呼ぶ。このパレードの街は非凡だ。落ち着きがなく、どこまでも愉快だ。そして人々はとても情深く温かい。

友達が言うには、マラケシュの人々の現地語のアクセントはとても特徴的で、ラバトの人とは非常に異なる話し方をするらしい。まるで関西弁のように。

道を聞くと、人々は身振り手振りを使って、2分くらい丁寧に説明してくれることもあった。そういった姿を見ていると、故郷の大阪を思い出すのだった。

平凡と思っていた故郷の景色と生活は、今ではとうの昔の話で。
非凡と思っていた憧れや夢が、事実生活の一部になり始めていて。

そんなことを、改めて噛み締めてみる。

ああ私は、モロッコにいる。
この瞬間を楽しまなくてどうする、と。

パレードは終わない。